2007年05月17日

「つまらないもの」の心

日本人の心を英語で解説した "Bushido" (新渡戸稲造著)に、こんな件があります。

"In America, when you make a gift, you sing its praises to the recipient; in Japan we depreciate or slander it."


つまりアメリカでは「これは素晴らしいものだから」と何かをプレゼントするのに対し、日本では「これはつまらないものですが」と言う、ということです。

この心を、新渡戸氏は以下のように解説しています。

"[Our] logic runs: 'You are a nice person, and no gift is nice enough for you. You will not accept anything I can lay at your feet except as a token of my good will; so accept this, not for its intrinsic value, but as a token. It will be an insult to your worth to call the best gift good enough for you.'"


つまり、どんな素晴らしい贈り物であっても、あなたにふさわしいほど素晴らしいとは言えない、という相手を敬う気持ちから来ている、と説明しています。

そして、以下のように結論付けています。

"The American speaks of the material which makes the gift; the Japanese speaks of the spirit which prompts the gift."


アメリカ人は、贈り物という物質に着目し、日本人は物を贈るという心に着目している。(だが、結局は同じことを違う面から見ているに過ぎない)


この一節を初めて読んだときは、目から鱗の思いでした。
なるほど、こういう風に説明すれば良いのか、と。

しかし、最近新たな疑問が湧いてきました。

これは果たして解説しなければ理解できないものなのでしょうか。

以前アメリカ人の友人に、「ご馳走様でした」の意味を教えて欲しい、と言われたときのことです。福島に住んでいる祖母が、訪れるたびに山のようなご馳走を出しながらも、私たちの「ご馳走様でした」という言葉に対していつも「いいえ、お粗末様でした」と答える、という話をしたところ、彼は素直に「いや、素晴らしいやりとりだね」と納得していました。

そして、別なアメリカ人の友人にも夕食をご馳走してもらったときに、「君にやってもらったことを考えれば、これは本当に気持ちに過ぎないよ」と言われた記憶があります。

実はこれを考えるきっかけとなったのは、先日読み始めたマキャヴェリの『君主論』(英訳)の序文です。そこにはなんと日本人顔負けの謙遜の言葉が書かれているではないですか。
これはとても貴殿にふさわしい出来のものとは申し上げられませんが、私の精一杯の贈り物であります、どうぞお納め下さい云々、という内容が綿々と綴られているのです。

これぞ、「つまらないものですが」の心そのものではありませんか。(もっとも、こうは書いてあっても、文の節々からどうしてもマキャヴェリの傲慢さがにじみ出てしまうのですが)

謙遜の心は、特定の文化に限定されているわけではなく、誰でもその価値を認めうるものなのではないか、と考えさせられたのです。

しかしながらその一方で、最近の日本では、自分が人にあげるものを「つまらないもの」などと言うべきではない、という主張さえ目にすることがあります。
そのような主張している人たちは、果たして「つまらないものですが」と言うときの本当の心というものを理解できているのでしょうか。

新渡戸氏が『武士道』を著した100年前には当たり前だった心が、今の日本では失われつつあるのでは、と考えると、ちょっと悲しい気持ちになってしまいます。
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2007年04月27日

目的と手段

ここのところ、企業派遣レッスンでの雑談が大幅に増えています。

今日に至っては、教えている片方の生徒さんから「T先生から、ペースが落ちているから、もっとペースアップした方が良いと指摘された」と言われてしまいました。(この方のレッスンは別な教師Tと交代で教えているのです)

でも私が「あなたはどうなの?どうしてもこの本を終わらせたいと考えているの?」と聞くと、彼女は「いいえ。教科書は一般的な話題にしか触れていないけど、仕事ではもっと専門的な語彙が求められるので、こうやって仕事の話をしている方が役に立っているような気がします」と答えたのです。
「じゃあ、Tにもペースダウンを気にしていない、と伝えておいてね」ということになりました。

T先生の気持ちも良く分かります。一応目安として40レッスンで1レベル終了を目標として掲げており、生徒さんの方でもそれを期待しているのですから。
事実、この前のクールで同じくTと一緒に担当していた生徒さんは、進度が落ちるとかなり焦っていました。

でも、テキストは手段に過ぎないのです。テキストを終えることにばかり集中しても、大して意味がない気がします。それよりも、今までレッスンでやった内容がちゃんと定着しているか、そしてそれを使いまわせるか、の方がはるかに重要です。
実際、とにかくこのレベルを終わらせたい!と訴える人ほど、前にやった知識があやふやだったりします。

そのような意味においては、焦らない彼女は非常に賢いといえます。事実、彼女のリスニング力、理解力は、いつの間にか現時点のレベル(レベル2)をはるかに超えるものになっています。なんせ、通常はレベル7の人に教える、日本の金融界をネタにしたジョークを聞いて一発で理解し、膝を叩いて喜んでいたくらいですから。(彼女自身、金融機関に勤めている、というのもありますが)

なぜ雑談も重要か、と言うと、言語はコミュニケーションの手段に過ぎないからです。

これぞ、学校英語と英会話の最大の違いかもしれません。

学校英語、特に文法を重視するような授業では、言語構造そのものを理解することに重きがおかれ、手段がいわば目的化してしまっています。
手段を手段として使う、つまり英語「を」勉強するのではなく、英語「で」勉強する、という意識が足りないため、多くの人は学校で一生懸命勉強した英語を、実際に使うのに苦労するのだと思います。

逆に雑談こそ、この言語の「手段性」を最大限に活かせるものなのです。

仕事の愚痴でも、皐月賞であてが外れて悔しい思いをした話でも、どこどこのイタリアンレストランが美味しい、という情報でも、ささやかながら英語「で」学ぶ・教える、ということにつながるのです。

もちろん、雑談だけでは意味がありません。きちんとしたカリキュラムという骨組みがあって、「このレベルならこれくらいの文法や語彙を使いこなせなければならない」という明確な基準がどこかにあり、それに合わせて軌道修正することによって、最大限効果が発揮されるのです。

なので、なるべく今までやった内容を活用できるように工夫はしているつもりですし、すでに練習したことのある構文で間違えたときには、雑談であろうともすぐに訂正します。

最近の例で感心したのは、とある競馬好きの生徒さんの話です。彼は皐月賞で負けてしまった話をした後、「例年は6万くらいを競馬で摩ってしまうのですが、今年はすでに4万ほど損しています」という話をちゃんと現在形と現在完了形(2ヶ月ほど前にレッスンでやった構文)を上手に使い分けて説明した上、私が「ええ?どうして?」と聞き返すと、通帳を取り出して、「ほら、ここに引き出しがあって、預け入れがあって、引き出しがあって、預け入れが...ない」とこれも2ヶ月ほど前のレッスンで学習した語彙を使いこなしながら解説したのです。
これには正直、参ってしまいました。

(ちなみに、この方はいつも仕事で疲れているからか、雑談がメインになってしまい、最初に紹介した女性の生徒さんよりもテキストの進み具合が遅いくらいなのですが、それでも確実に上達している気がします)


英語の勉強というと、学校英語の影響からか、どうしても知識を増やすことそのものが一種の目的になってしまっている方が多いような気がします。
だからこそ、多くの英会話スクールで「生きた英語を」というときに、初級レベルにおいてもネイティブが使うようなイディオムやスラングの習得に重点をおくようなカリキュラム(幸い、私が教えているスクールではそのような的外れなことは要求されない)が構成されてしまうのでしょう。

しかし、本当の「生きた英語」というものは、そんなものではありません。ただ単に英語が完全に手段化され、それほど深く考えずに身近な話題についてスムーズに情報交換ができる状態を指すのだと思います。

中々英語が上達しない、と悩んでいる皆さん。英語を「手段化」できていますか?
posted by EnglishMaster at 00:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

目は口ほどに

ものを言う、とは日本語の表現にもありますよね。

先日、これを実感しました。

とても真面目な生徒さんを教えたのです。

復習をしっかりやっているらしく、一度やった内容はしっかりおさえてあります。一つ質問をすると、(レベル1であるにも拘らず!)すらすらといくつもの文を並べた長い答えを返してきてくれます。

「次回は会社の組織について話しますからね。会社に英語で書かれた組織表みたいなものがあれば、持って来られると良いですよ」と言うと、次の日(たまたままた私が当たったのですが)ノートに会社の各部門とそれぞれの英訳がびっしりと書き込まれたのを見せてくれました。

ところがこの方、スピーキングはかなり力がついているにも拘らず、リスニングがそれほど得意ではないのです。
CDでのリスニングは、まあそのレベルを考えれば平均的なのですが、スピーキング力を考えるとちょっとバランスが悪いくらい。
それよりも、実際の会話において、良く聞き間違いをし、前述の長い答えも頓珍漢であることが多いのです。

なぜこんなにしゃべれるのに、聞き取れないんだろう、と考えていたら、その方が極端にアイコンタクトが少ないことが原因であるような気がしました。

本当に目が合わなかったのです。
私が話しているときも、彼自身が話しているときも、下を向いているか、明後日の方を見ているか、どちらかでした。
(左上の方ばかり見ていた、ということは視覚情報を思い出そうとしていた、ということでしょうか。頭の中で作文し、そこに表示されたものを読み上げる、というやり方を取っていたのかもしれません)

こちらとしては非常にやりにくかったです。
まず、顔をしっかり見てもらえない、というのは何となく落ち着かないですね。
そしてそれより、私が目や表情で訴えている情報に全く気付いてくれなかったのです。

例えば、私は間違いを訂正するときに、すぐに否定的なコメントを出すのは控えるようにしています。眉を軽くしかめたり、首をちょっと傾げたりして、自分で間違いに気付き、訂正するのを待ちます。多くの生徒さんの場合、それで十分であるため、私は褒めさえすれば良く、非常に楽なのです。
しかし、彼はそれに全く気付いてくれず、こちらからわざわざ「それは、○○ね」と一々言わなければなりませんでした。

思えば、全くの初心者でも習得しようとしている言語しか使わずに教える、というダイレクト・メソッドがちゃんと機能するのは、このような非言語コミュニケーションをフル活用するからなのでしょうね。
相手の目を通じて心を読むことによって、たとえ片言でもコミュニケーションが成立し、次のステップへと進めるのです。
(一時期テレパシーに凝りましたが、すべての人に通用するわけではないのと、あまりにも強引な気がしたのとで、やめてしまいました)

この生徒さんのような場合、一生懸命努力されているためなおさら、アイコンタクトなどのコトバ以外の情報が読み取れていないのが惜しい気がしました。それがもう少しできればもっとコミュニケーションがスムーズに行くのに、と。

で、指摘すべきかどうかを迷っていたところ、ちょうどカウンセリング用のコメントを頼まれたので、迷わずそれも書きました。
目的が「仕事のため」、とあったからです。欧米人相手に、まっすぐ相手の目を見て話すことができなければ、信用できない、と思われてしまいます。

そして、実際にカウンセリングを担当されたスタッフの人によると「日本語で話しているときも全然目が合わなかったですね。とってもシャイなのでしょう。でも本人も自覚はしている、と言っていましたよ」とのことでした。
一応、「相手の目を見るのが苦手なら、両目と口を結んだ三角形の中のどこかを見るようにすれば良い、と伝えてください」とは言っておいたのですが。


ちなみに、アイコンタクト、と言っても、むやみやたらと相手の目をじーっと見ていれば良い、というわけではありません。適度に外すことも重要です。そして、達成したい目的によってどこを集中的に見るかを変えるべきだそうです。

例えば、先に紹介した「両目と口を結んだ三角形」当たりに視線を集中させるのは、いわゆる "social gaze"(社交的な視線)として、相手に最も好感を持ってもらえる視線の使い方らしいです。
(これをあるレッスンで意識的に使ったところ、その生徒さんにリクエストされ、効果のほどを実感しました。それ以来、こわくなってあまり使っていません)

相手を圧倒したいなら、"power gaze" (威圧的な視線)というのもあります。相手の目と目の間を集中してみるのです。

そして、相手に対して異性としての好意を示したいなら、"sexual gaze" (性的な視線)があります。これは、両目から胸の下辺りまで、と視線を動かす範囲を広げます。
(これも面白半分で実験したところ、誤解されてしまったため、お蔵入りしています)

これらの話は、"The Definitive Book of Body Language"という本で読んだものなので、興味のある方は是非一読を。
ベストセラーだった『話を聞かない男、地図を読めない女』を執筆したピーズ夫妻によるものです。

bodylanguage.jpg

posted by EnglishMaster at 23:46| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月08日

笑顔の効果

気が付けば、更新しない日々が一ヶ月近く続いてしまいました。
更新を期待してアクセスしてくださった皆さんには、大変申し訳ないことをしてしまいました。m(_ _)m
書きたいネタは山ほどあるので、猛ペースで更新しないと到底書ききれないような気がします。頑張ります。

でも、とりあえずは他愛の無い話から。

先週の木曜日の夜、通りかかった教室に何回か教えたことがあった生徒さんがいたので、いつものように笑顔で "Good evening, Mr. ○○" と挨拶しました。その方も挨拶を返してくれたのですが、そのやり取りを見ていた同僚がいきなり「なぜ僕にはそのような笑顔を見せないんだ」と言ったのです。

これにはショックを受けました。

大学の友人には、「いつも笑顔が素敵だね」と言われていたのを思い出したからです。その頃は、「美人だと褒められるよりもはるかに良いことだ」と勝手に喜び、笑顔を絶やさないように心がけていたのですが、それがいつの間にかお客様にしか見せない「営業スマイル」に成り果ててしまったみたいです。

使えば減る、というわけでも無いのに、知らず知らずのうちに笑顔をケチるようになっていたのでしょうか。

実はこの同僚、昨年のシーラカンス事件のP君で、あれ以来私に馬鹿にされたと思ったらしいのか(他にも色々と事情があったのですが)、徐々に私に対する態度が冷たくなり、最近は必要以上にはろくに口を利かない仲になってしまっていたのです。

しかし、本当はそんなことはどうでも良く、彼に笑顔を見せなくなった私にこそ責任があるのだ、と気付いたのです。

そこで、昨日は出勤した彼を見かけるなり、最上級の笑顔で"Hi!" と呼びかけました。すると、そのときは黙って頷いただけだったのですが、次の休み時間には私のところに本を持ってきて「ねえ、君、隷書体の七・五・三って知ってる?」と話しかけてきたのです。
そして、私が「ううん、知らないよ」と言うと、嬉しそうな顔をして、得々と隷書体の特徴と、様々な江戸文字の書体について語り始めました。

そして、それで気を良くしたのか、その後私がフランス語の先生に「今日は忙しいの?」と聞かれたのを耳にして「あいつはお前を誘うつもりだったんじゃないか?」とからかったりして、すっかりお友達モードに戻っていました。

男の人って、本当に単純ですね。


ちなみに、とっても鈍い私はそのフランス語の先生にはまじめに「今日は目が回るほど大変なのよ」と答えたのですが、P君に指摘されて、しまった!と思いましたね。
ひょっとしたらレッスンをお願いするチャンスだったのかもしれないのに。
posted by EnglishMaster at 23:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月10日

電子辞書の選び方

電子辞書については、以前も何度か言及したことがあるのですが、先日「どのようなものを選べば良いのかが分からない」という質問を受け、肝心の選び方については英文でしか書いていなかったことを思い出し、ここで私なりの考えを整理したいと思いました。

まず、そもそも電子辞書が必需品か。

となると、必ずしもYesではないと思います。

仕事で英語を使う場合は、あった方が良いでしょう。特に英文でのメールのやり取りが多い場合には、言葉を正確に使い分けるためにも、あった方が便利です。
ただ、そんなにお金を投資したくない、メールが主だ、という場合であれば、『英辞郎』のネット版(無料)で用が足りることも多いみたいです。

仕事で英語を使わない場合は、レベルにもよります。

英会話初級者であれば、電子辞書はあまり必要はないと言えるでしょう。どうしても、という場合には、ポケット版の英和・和英辞典を持ち歩き、それで間に合わない分は直接先生に聞くか、家に帰ってから調べる、という形を取った方が良いと思います。
辞書に頼りすぎてしまうと、自分の頭で考えて工夫する、というステップが抜けてしまうからです。

ただ、中級以上になれば、辞書はあった方が良いですね。しかもこのレベルでは、辞書の使い方を学ぶ良い機会でもあるので、紙の辞書よりも複数の辞書が収録された電子辞書の方が勉強になります。

中学生・高校生であれば、紙の辞書の方が良いような気もします。自分で線を引いたりすることもできますし、速く検索するための訓練はそのまま長文読解の訓練にもなりますから。それに、手垢で黒くなった辞書を見ると「ああ、一生懸命勉強したなあ」という実感が湧きますよね?


以上より、具体的にどのような辞書がお勧めかと言うと:

英会話初級者であり、かつあまり語彙に自信がない場合

このレベルでハイエンドの辞書を買っても豚に真珠です。使いこなすことができません。ですから、身の丈にあったものを選ぶのが大事です。
最低限そろえたいのは、良い学習者向きの英英辞典。『ネイティブのように辞書を引こう』で紹介したオックスフォード現代英英辞典(Oxford Advanced Learner's Dictionary)や、Collins Cobuildあたりが、比較的易しい言葉を用いて丁寧な説明がなされており、使いやすいと思います。
これが一つ入っていれば、英和・和英がジーニアスのみ(結構首を傾げたくなるような記述が多く、個人的にはあまり好きではないのですが)であっても構いません。ただ、英英辞典が入っていないものは、なるべく避けるべきです。

中級以上の場合
この場合にぜひ持っていたのは、英英の類語辞典です。これは語彙を増やすのに非常に役に立つからです。

会話はあまり得意ではないが、仕事で専門用語を使う必要性がある、もしくは、語彙には自信がある場合
上級者の場合

英和・和英・英英で大辞典があった方が良いでしょう。ただ、使いこなすためにはあるていど語彙が必要なので、それは肝に銘じておくべきです。
また、上級者であれば、研究社の『英和活用大辞典』もそろえておきたいかもしれません。これは言葉の微妙なニュアンスの違いや、良い組み合わせを知ることができます。


大体、私が考えるところの適性は上記のようなものですが、個人的な相性や使い勝手も大事です。
一番良い選び方は、
1.よく知っている言葉
2.最近知った言葉
3.知りたいと思っている言葉

をそれぞれいくつかリストアップしておいて、店頭で辞書で引いてみることです。このリストに専門用語が入っていたら、「やっぱり大辞典がないとだめだ」と思うかもしれませんし、定義をみて「大辞典でも使いこなせそうだ」と思うかもしれません。
ジャンプ機能(個人的にはこれが一番重要)もメーカーによって使い勝手が違うので、一括検索や、同じ言葉で英和→英英へとジャンプしたり、和英で出てきた単語を英英で引きなおしたり、といろいろと試してみると良いでしょう。

大事なのは、「今」の自分のニーズに合っているものを選ぶことだと思います。消耗品ですし、もっと良いのが欲しくなったら、家族や友人・同僚に譲ればいいのですから。

少しでも参考になれば幸いです。
posted by EnglishMaster at 16:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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