2006年12月10日

学習に向いているドラマ(2)

以前、学習に向いているドラマ、というものを紹介しましたが、今は大分趣味が変わり、最近はまり気味なのが、このドラマです。

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邦題では『ザ・ホワイトハウス』として知られていますが、原題は "The West Wing"。大統領官邸は執務用のWest Wing(西棟)と大統領とその家族の居住用の East Wing (東棟)に分かれているのですが、この物語は大統領の仕事に焦点を当てているためです。とはいえ、East Wing での大統領夫人とのやりとりも時々出てきます。

以前、NHKの衛星放送で放送されていたときには、あまり興味を持たなかったのですが、この間、偶然にもケーブルテレビのスーパードラマTVで再放送中であることを発見してから、すっかり気に入ってしまい、なるべく録画して観るようにしています。
今夜11時から第2シーズンの最後の2話で、17日からは第3シーズンが放送されるみたいです。

この物語の面白いところは、連続してすべての話を見なくても楽しめるが、少なくとも一話単位では最初から観ないと訳が分からない、という点でしょうか。
数年前にNHKで見たときにはまさに一話の途中からであり、全然話についていけなかったのですが、一話単位できちんとまとまっているため、シーズンの途中からでも大丈夫です。

一話単位できちんとまとまっている、各回ごとにいくつかの「決め台詞」みたいなものがあり、それらが異なる場面で繰り返し出てくることによりユーモアが演出されるからです。

この「繰り返し」こそが、教材として最高のものに仕立てている、と言って良いでしょう。

例えば、この間見た回では、広報部次長のサムが大統領に向かって、良いスピーチを書いたお礼として顧問弁護士のアインズリーに会ってくれ、と頼みます。偶然顔をあわせたかのように僕が演出するから、と。
これに対して、大統領は「彼女に会ったときに一体何と言えば良いのだ」と尋ねます。そこで、サムは
"How about...'A lot of people assumed you were hired because you were a blond, Republican sex kitten, and well, they're obviously wrong. Keep up the good work,'" という台詞を提案します。大統領は "That's good. I like that," と言い、実際に彼女に会ったときにそっくりそのまま同じ台詞を口にします。
しかし、実際に彼女に会うのは、彼女がペンキでスーツを汚してしまい、バスローブ姿で地下のオフィスでお酒を飲みながら踊っていたときです。で、その場の雰囲気からすると、せっかくのその台詞が皮肉にしか聞こえないのです。
大統領が去った後、サムは落ち込んだアインズリーを慰めるために、
"That could've been worse," (もっとひどい状況もありえたよ)
と言った後、
"No, probably not." (いや、ないかもな)と言葉を変えます。笑えます。

このように、コメディにあるようなあからさまなギャグというものは無いのですが、随所にこういった控えめで知的な大人のユーモアというものがちりばめられているのです。

他におすすめのポイントは、語彙、トピックス、登場人物の話し方ですね。

一応米国政権の中枢にある人々を描いているため、登場人物の多くはエリートで、エリートにふさわしい語彙、文法が用いられています。

以前、『誰も使わない表現』でも似たような内容に触れましたが、"How do you do?" を使う人なんかいない、"whom" なんて古い、その単語は書き言葉であって会話では使われないよ、などと言われてショックを受けたことのある人であれば、一度このようなドラマを観ると良いでしょう。
(ちなみに、新任の大使の認証式が中心となったエピソードでは、英国大使の秘書が"How do you do?" と挨拶しましたが、主席補佐官レオには無視されてしまいましたね)

トピックスも、麻薬戦争、教育、銃規制、女性の地位向上、貿易など、旬のものばかりです。今見ているシーズン2は数年前に製作されたものですが、未だに色鮮やかな話題ばかりですね。
ただ、製作者がリベラルであるだけに、問題に対する対処の仕方が今のブッシュ政権とは大分方向性が違う点が非常に興味深いです。

話し方、と述べたのは、時々「ニュースなら聞き取れるが、ドラマは全く理解できない」と生徒さんに言われるからです。
このドラマは、どちらかと言うと「ニュース調」です。会話のテンポはやや速めだったりしますが、登場人物の発音は比較的発音が明瞭で、記者会見やスピーチの場面、(時々ニュース番組の報道の場面なども入る)だと少し話のテンポが落ちたりします。
あと、イディオムはそれなりに使われているが、スラングは少ないほうかもしれませんね。

以上より、正統派のビジネス英語を目指しているか、英検や国連英検の上位の級を狙っている方なら必見だと思います。

個人的には、ドラマのリアルさも好きです。
もう年だからかもしれませんが、最近は「フレンズ」や「アリー」のようにルックス抜群の人ばかり集まっている番組には面白みを感じません。
"The White House" では主演のマーティン・シーンは背が低く、足が短く、お腹が少し出ていて、顔にしわもあるのに、魅力的です。ファースト・レディもオーバーウェイト気味、報道官のCJもP.D.James の言葉を借りれば "handsome, perhaps even beautiful, but certainly not pretty"
という感じですね。そして登場人物の誰もが、疲労のあまり目の下にクマを作っていることが多いです。
大統領も完全無欠ではなく、時には間違いを犯して反省をし、悩むところがとても良いですし、スタッフもエリートながら時には個人的な弱さを前面に出したり、「あの話題を僕の了解を得ずにスピーチに入れた」などを理由に復讐劇に講じたりするのです。

冒頭では、連続して観なくても楽しめる、と書きましたが、やっぱり連続して観ればちゃんと物語の色々な伏線もフォローできるかな、と考えています。
ちなみに、アマゾンで探したら、第1シーズンの前半のセットを¥2,615で売っていました。これならレンタルするのとあまり変わらないかも?と、思わず注文してしまいました。

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posted by EnglishMaster at 21:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月28日

趣旨

最近、時々出没している『知恵蔵』で、面白い質問?を発見し、思わず長々と答えを書いてしまいました。

内容は、中学レベルの文法の復習で能動態(active voice)から受動態(passive voice)への文の変換と、受動態から能動態への文の変換をやっていたところ、後者の方が難しく感じられた、というものでした。質問というより感想に近く、書いた本人が果たして答えを求めていたのかどうかも分からなかったのですが、最近の私の問題意識と符合するものがあり、回答内容をこちらでも発表したくなりました。

実はこの話を読んで始めは少しびっくりしてしまいました。
あまり意味を考えずに、ただ機械的に文を変換していただけなのか、と思わせるような内容だったからです。

でも、こういう「書き換えろ」という形の問題ばかり並べた問題集というのも、結構たくさんあるみたいですね。

本当はそのように文を書き換える練習をしても、頭の体操以外の何の役にも立たないような気がします。
そこには、なぜあえて例外である受動態を使うことに意味があるのか、このシチュエーションでははたして能動態と受動態のどっちが良いのか、という問題意識がすっかり欠けているからです。この問題意識なくして、これらの二つを適切に使い分けることはできません。

実はネイティブ向きのライティングの教科書には、(少なくとも私が見た限りでは)いずれも「なるべく能動態を使え」と書いてあります。受動態を使うのは、本当に受動態を使うことに意味がある場合に限定すべきだ、と。
もっともです。能動態の文の方がはるかに分かりやすいことが多いからです。

では、どのような場合に「あえて」「例外である」受動態を使う意味があるのでしょうか。

英語は、以前にも書いたとおり、SとVの言語です。
ということは、常に「誰が」「何をしたのか」ということをはっきりさせなければなりません。
しかし、時として「誰が」やったのかが重要でなかったり、不明瞭だったり、「誰が」やったのかを前面に出したくないときがあります。

例えば、死刑が執行された場合など、行為の主体が死刑執行人なのか、法務大臣なのか、制度全体なのかが良く分からなかったりします。だから「彼女は処刑された」(She was executed.)にした方が良いのです。
オリンピックの開催も似ています。一応はIOC主導ということなのでしょうが、実際の開催時期に近づくとIOCよりも開催都市が前面に出て活躍していて、なんとなく分かりにくいです。ですから "Beijing will host the Olympics" とする一方で、"The Olympics will be held in Beijing." と一般的にされるのです。

また、会社がボーナスをカットした場合や、工場を閉鎖した場合を考えてください。「取締役会がボーナスをカットした」(The Board of Directors cut bonuses by 10% this year,)よりも「ボーナスがカットされた」(Bonuses were cut 10% this year,)にした方がなんとなく聞こえが良いですよね?少なくとも、前者の文に比べて、取締役会に対する非難の声が弱まるような気がします。

逆に、日本語では普通受身的な表現がなされる場面であっても、行為者が明らかな場合には英語では能動態を使うのが一般的だったりします。
門限を破った日本の高校生が「ヤバイ。親に殺される」と言うのに対し、アメリカ人の高校生であればストレートに "My parents are going to kill me," ですからね。(I am going to be killed by my parentsにする必然性は全く無いのです)

以上のように、もし本当に受動態を使うのに意味があるような文章であれば、能動態に変換したときに何を主語にすれば良いのかが良く分からない、ということが多いでしょう。
簡単に能動態に変換しなおすことができるような文であれば、はじめから受動態などにしなければ良いのですから。(もちろん例外はあります)

このように、この構文を使うことには一体どんな利点があるのだろうか、という問題意識を持って文法に取り組めば、決してつまらなくは無いはずです。

ただ文の形を変えるだけなら、簡単な構文解析機能を備えたコンピュータ・プログラムにだってできてしまいます。
でも文法は「目的」から「手段」に変わって、始めて本当に使い物になるのです。

そのためにも、「文を変換する」などの課題に直面したときには「これによって何が変わるのだろうか」とちょっと立ち止まって考えてみる余裕を持つことが大事です。一度考えておけば、いざ自分で作文しなければならない、というときに、どの構文が一番適切に自分の気持ちを伝えてくれるかの見分けがつくからです。

本当はこのような考え方を中学・高校の段階からできるようになると良いのですが、どちらかというとあまり文の適性も考えずに「変換しろ」とする問題集が多いのでしょうね。
posted by EnglishMaster at 22:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 文法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月27日

(続)英語は英語で

さて、前回述べた通り、私はかなりの確固たる信念を持って「英語だけ」にこだわってきたのですが、最近その信念が大きくゆらぎました。

とある生徒さんに「日本語ができる先生が良い」とリクエストされて、時折日本語の解説を入れるようなレッスンをしたのがきっかけです。

実は、それは別のベテランの先生が勧めたことであり、その生徒さんが基礎を全く理解できなくて苦労しているから、誰かがちゃんと解説してあげた方が良いかも知れない、と進言したことから始まったのですが。
(果たして生徒さんの方からそのようなリクエストをしても、「方針に反する」として認められないかもしれません)

ともあれ、「習うよりひたすら慣れろ」というポリシーを捨てて、必要に応じてちゃんと解説も入れました。

と言っても、大した解説ではありません。
文法解説にいたっては、「一つの文には一つの動詞しか使えません。それはBe動詞か、Be動詞以外の動詞です」ぐらいのレベルのものです。
現在進行形あたりまで行った時、ほとんど英語で例文を対比させるだけで飲み込めるようになっていました。

むしろ、日本語の解説が役に立ったのは、ある会話の背景状況や宿題の指示を説明するときでした。
(面白いことに、その生徒さんは「この宿題は文の形を変えるだけで良いのですよね?それは簡単にできたのですが、でもどうしてこんなことをやる意味があるのか分かりません」なんて鋭い質問をしてきたのです)

あとは、復習の仕方を直接、日本語で説明してあげた点ぐらいでしょうか。

面白いことに、彼女は最初に予想していたよりもはるかに早く上達していったのです。彼女と同じように全く潜在知識が無いような生徒さん(Complete Beginner)では一つの章を消化するのに6レッスン以上かかってしまうことも珍しくないのですが、彼女は最終的には3レッスンちょっとで一つの章の内容を身に付け、応用できるようになったのです。
「一応読み書きはできるが会話ができない人」(我がスクールではこのような人を False Beginner と呼んでいます)を前提とした基本ペースが一つの章に対して4レッスンとされていることを考えれば、驚異的なことです。

もちろん、本人がものすごい努力家であったことは言うまでもありません。
でもそれに加えて、疑問を残さずにそのつど内容をちゃんと理解しながら進むことができたことが大きかったのかな、という気がしました。

初心者(特に彼女のような Complete Beginner)にとって一番難しいのは質問することだと思います。「英語のみ」というカリキュラムに基づいて学習する場合、それで躓いてしまう人の多くは、実は分かっていないのに、質問するのが難しかったり面倒くさかったりで「とりあえず分かったフリをしておこう。家に帰ってから自分で調べよう」と考える習慣がついてしまい、だんだん付いていけなくなった人ではないのでしょうか。
そういう人にとっては、実際には使わなくても「いざという時には日本語で質問できる」というセーフティネットが重要なのかもしれません。

と考えるようになってから、レベル1の人に対して以前に比べて助け舟を出してあげることが多くなりました。道順の聞き取りで "Chestnut Street" という一言に首を傾げていた生徒さんに小声で「栗」と教えてあげたり。(おおっ、なるほど、栗通りか!なんて喜んでいましたが)

もちろん、そのような手助けなど必要とせずに、すらすらと新しい単語や構文を飲み込んでいける人もたくさんいます。ですが、みんながみんな、そういう言語的なセンスに恵まれているとは限りません。
以前にもセーフティネットを本当に必要としていた生徒さんがいたな、と思うと、今まで少し頭が固かったかもしれない、と反省せざるを得ません。
posted by EnglishMaster at 23:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月18日

英語はなぜ英語で勉強すべきか

今日、ある中級のレッスンでリスニングをやっていたときのことです。

食事は美味しかったけど、ものすごく混んでいて手際が悪かった新しくオープンしたレストランについて、そこに行った女性が友人に向かって

"I don't think they were expecting to become so popular so fast,"

と言う場面がありました。

そのとき、生徒さんに「この文の意味が良く分からない」と言われてしまいました。「このレストランは、たくさんのお客に来てほしくなかったのか」と。

ああ、これはありがちな、"to expect" =「期待する」で覚えているために生じた混乱だな、と気付いた私は、以下のような問答をしました。
(すべて実際は英語で行われた会話を、適当に日本語に直したものです)

「常識的に考えてください。あなたがレストランの経営者だとして、お客さんにたくさん来て欲しいですか?」
「もちろん、たくさん来て欲しいです」
「でも、全く新しい小さなレストランで、あまり宣伝にお金をかけられないとしましょう。はじめからたくさんのお客さんが来ると思いますか?」
「ああ、そうだったら、あまり来ないでしょうね」
「そう、あまりたくさん来るとは思っていなかった。でもたくさん来てしまった。だから対応しきれなくなって、サービスの質が落ちた。つまり、"think something will happen" イコール "expect something to happen" ですよ」

"expect" =「期待」と覚えていると、とんでもないことになります。
なぜなら、「期待」はポジティブなものに対してするものだからです。
一方、"expect" は悪い状態を予想していた場合にも使えるのです。
"I expected to be late, but we actually arrived on time." (遅れるかと思ったけど、実はちゃんと予定通りに到着したよ)
"Hey, she was actually better-looking than I expected."(想像していたほどブスではなかったな)

この言葉をきちんと使いこなすためには、"expect" =「期待」よりも"think something will happen" = "expect something to happen" のような対応関係で理解した方がはるかに良いのです。

実は、先月、丸善本店の洋書売り場の横で、同じような内容の講演をしていた人がいました。通りかかったときに、その講師の人が「"wall" は『壁』ではない」と力説しているのが聞こえて(結局その場では何の解説もなかった)、一瞬「何を言っているんだろう」と思ったのですが、良く考えてみれば全くその通りです。

"wall" は家や部屋の「壁」に該当する場合もありますが、一方庭と庭との境目にある「塀」も "wall" と言います。ハドリアヌス帝がイギリスとスコットランドを分けるために用いた "Hadrian's Wall" は日本語で「ハドリアヌスの防壁」と訳されていますが、同様の機能を持つ "The Great Wall of China" は日本語では「万里の長城」となりますよね。
つまり "wall" = 「壁」と理解していたのでは、その全貌をつかめない、ということです。おそらく、その講師の人もそのようなことを言いたかったのではないでしょうか。

一々日本語に訳すことはある意味簡単です。しかし、それだと言葉の表面をなぞっただけで、あるいは一面を捉えただけで、なんとなく分かったような気になってしまいます。
一方、"wall" を英語のまま理解しよう、と思ったら、まずそれを実際に目にするか、想像するかをしなければなりません。"expect" のような抽象的な言葉であれば、より噛み砕いた英語の表現から自分で意味を模索しなければなりません。その結果、最終的に「ああ、『壁』のことだな」とか「つまり、『期待、予想』という意味だな」に行き着くことになるでしょう。でもこの過程がものすごく大事だと思うのです。

そして、たとえ初心者のレベルであっても、日本語の解説なしですべて英語だけで理解するように努力しながら英語を勉強すれば、この過程を経て真の実力が付くと言えるでしょう。

だから、私は(この間英文で書きましたが)生徒さんがすぐに電子辞書に頼るのは問題だと思います。生徒さんが例えばポロリと「怠け者」という日本語を口にした場合でも、すぐに該当する英語を教えてあげるのではなく、まずその人が絶対に分かるようなレベルの英語で、"Are you hard-working?" と聞き返し、"No, I'm not hard-working," という答えが返ってきてからはじめて "Then, you're lazy." と教えるように心がけています。時々面倒になってすぐに助け舟を出してしまうこともあるのですが。

翻訳や通訳の勉強をしているならいざ知らず、単に話せるようになりたいだけならば、できるだけ日本語に頼らないでやる、というのが正攻法であるな、と再び実感する今日この頃です。

posted by EnglishMaster at 23:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

担任制の魅力

今私が教えているスクールではいわゆる担任制というものを採っておらず、「様々な英語に触れられるように」というスローガンのもと、ローテーション制となっています。

ある生徒さんを専属的に教えるのは、(私が個人的に教えている人は除いて)その生徒さんの強い要望で「是非この先生に教えて欲しい!」と言われた場合、もしくは企業への派遣レッスンのときのみです。

生徒さんからリクエストがあったとしても、グループであるか個人レッスンであるか、はたまた個人であってもリクエストの度合いによって当たる確率が変わったりしますが、レッスンの5割以上担当することは珍しいですね。

でも、今年に入って何度か企業派遣レッスンやリクエストを通じて専属的に教える生徒を持ち、特に初心者であればやっぱり担任制は良いな、と実感しています。

まず第一に、教える側として責任を感じます。
生徒を見れば、どんな先生に教わってきたかがすぐに分かります。
もし教えた人がいつまで経ってもブロークンな英語しか話せないのであれば、それは私以外の誰の責任でもないため、気合の入りようが違うような気がします。
子供っぽいかもしれませんが、自分が専属で教えている生徒さんが他のローテーションで教えている生徒さんに比べてよくできると、本当に嬉しいです。(本当は本人の努力・実力次第だというのは分かっているのですが)

また、前回にやった内容を覚えていなかったりすると、「何か教え方がまずかったに違いない」と反省し、ちゃんと復習します。前にやった内容がちゃんとできていなければ、次に進みません。そのように地盤を固めながらやっていくと、最初のうちは進度が遅いが、後のもっと難しい内容になったときにスピードアップする、という技が可能なのです。
でも、前回教えたのが他の先生であり、生徒さんが「分かっています。質問がありません」と言うと、実はあまりよく分かっていなくても「まあ本人がそう言っているなら良いか」という感じになってしまいます。もちろん、一旦出てきた内容はその後の章や応用されるため、一旦理解がおろそかになると後になってそのツケが回ってくるのですが。

第二に、担任だと厳しくなれます。
毎回教える先生が違う場合、宿題を出してもチェックされるかどうかが定かではありませんし、やってこなかったから、と怒られるわけでもありません。(大の大人がなぜ自主的に宿題をやれないのかも疑問ですが、私の見たところ、先生の数が多い大きいスクールほど宿題をちゃんとやる人が少ないような気がします)

担任であれば別です。「どうして宿題をやってこなかったの?」に始まり、前回の内容を覚えていなければ(内心は自分が悪かったのかもしれない、と思いながらも)「前回はちゃんとできたのに、どうして忘れてしまったの?ちゃんと復習をしなかったの?」と言えますから。
かなり怖いかもしれません。私に怒られるのが嫌で、たとえ午前様でもちゃんと宿題をやってくる生徒さんがいるくらいですから。でも、これが実は結構大事だったりするのです。

第三に、先生の数が少ないと、生徒さんの方も素直になれます。
いや、もともと素直な人に当たる、という幸運に恵まれただけかもしれませんが。
実際はそれほど怒らなくても、担任として教えていると皆さん確実に復習と宿題をやってくるのです。復習の仕方が分からない、と言われたときに、「では、とにかく教材のCDを聴いてください」とある生徒さんに言った時、彼は本当に行き帰りの通勤電車の中、ひたすら同じCDを聴き続け、飛躍的にリスニング力を上昇させました。

前回やった内容は確実にしておきなさい、と言われれば復習し、レッスンを録音しろ、と言われれば録音し、CDを聴け、といわれればひたすら聴く。こういう素直さがあってこそ上達するのですが、色々な先生から色々なことを言われると、中々そうはできないのかもしれません。
現に、ある生徒さんに録音を勧めたところ、次に当たったときには録音機器が一切見られなかったのです。そこで「どうしたの?」と尋ねてみると、「いや、日本語の解説がなかったから録音を聞き返しても良く分からなくて」という答えが返ってきて、唖然としてしまいました。たとえ趣旨を理解していなくても、言われたことを信じてやれば、趣旨は分かってくるものなのに、それ以前の時点で彼は放棄してしまっていたからです。勿体無いですね。

もちろん、良いことばかりではありません。

まず、相性が悪ければ悲劇ですね。
幸い個人的にはそういう経験は無いのですが、オール担任制を採用しているスクールでは時々あるみたいです。また企業派遣レッスンでも時々、先生を替えて欲しい、と言われることがあるみたいです。そう言われたらかなりショックでしょうね。

あと、当然ですが、担任制だとある程度その先生の話し方と言うものに染まってしまいます。だから場合によってはものすごくくだけた英語になったり、どちらかというとかしこまった英語になったり、はたまた先生の訛がうつったり、ということがあります。これはプラスにもマイナスにも働きうる要素ですね。

また、私のような人が教えた場合、あまり「外国人慣れ」という効果は期待できない、という欠点もあるかもしれません。本当にそういうことを求めているのであれば、の話ですが。

そして、ある程度できる生徒(最初からある程度実力があったり、またはたとえレベル1であっても読み書きには自信がある場合)であれば、やっぱり様々な人と様々な話をする方が楽しいし、良い訓練になると思います。

でも、本当に初心者の状態から始めるのであれば、責任をもって基礎を固めてくれる人に専属的に教えてもらうのが、一番効率が良いような気がしてなりません。
posted by EnglishMaster at 14:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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