2007年11月06日

The "Native" Myth

新しい記事をアップしないまま、早2ヶ月が過ぎてしまい、読者の皆様には本当に申し訳ありません m(_ _)m
こちらも書きたいトピックのリストが長くなる一方だったので、思い切って昼休み中に記事を書いてしまいました。
ゆえに結構雑な内容になってしまっている点は、どうか多めに見てください。

さて、最近破綻したNOVAをはじめ、多くの英会話スクールが拠りどころとしている「ネイティブ信仰」(もっともNOVAの場合はどちらかというと「外国人信仰」に近かったのですが)、言い換えれば、「どのような人であれ、ネイティブの言うことなら間違いない」という「神話」ですが、私は勝手に日本人特有のものであると考えていたところ、どうやらそうでもないらしいですね。

10月から、私が勤めている事務所で英国の名門大学で日本語を勉強している学生をインターンとして迎えることとなり、私が(同じ部屋ということもあり)世話役になりました。

彼が来た初日、大学では2年生で古語も勉強して、『方丈記』も読んだ、という話をされたため、「ああ、『ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたることなし』ですね」と私から言うと、彼は目を丸くして「日本人はみんなそれを知っているのですか?」と聞いてきました。

そんなはずないですよね (^^; 私もたまたま言葉の響きが好きでこの冒頭の一節のみ覚えていたに過ぎません。
一瞬「もちろんですよ」と言おうかと思ったのですが、幻想を抱かせるのもまずいな、と考え直し「イギリス人は誰でもシェークスピアをすらすらと引用できますか?」と聞き返しました。それで彼は納得したようでした。

また、面談の内容をおこしたファイルを訳していたときのことです。彼に一部につきドラフトの訳を作ってもらうという形で手伝っていただいていたのですが(もちろん、その後私が色々直しましたが)、「なぜここは理由付けを述べているのに『からである』のような結びになっていないのでしょう」と聞かれてしまいました。

これに対しては「実はこの文の終わり方は少しおかしいけど、こういうのは良くあることよ。別に真似をすることはないから」と言うしかありませんでしたね。すると彼は「日本人でもおかしい日本語を使う人がいるんですか」と聞いてきたのです。当たり前です。私でも時々果たして自分の日本語が正しいのか、不安になるときがあります。「イギリス人でも仮定法を使わない、もしくは使えない人もいるでしょう」と答えました。

で、これで「日本人の日本語力」というものに対する幻想を完全に破壊してしまったのか、と思っていたのですが...

先日、彼が日本語のレッスンの準備のためにライブラリから日経新聞を借りて、机の上においていたときのことです。経理担当の事務員がそれを見て、「日経を読んでいるなんて、すごいですね。難しすぎて私にはとても読めません」なんて言っていました。すると彼は怪訝な顔をして「日本人でも日経を読めないんですか」と聞いてくるではありませんか。これも「イギリス人は誰でもファイナンシャル・タイムズを読めますか」と聞返して、はじめて「ああ、確かに誰でも読むものではありませんね」と納得したようでした。
(もっとも、日経はここ数年、女性購読者獲得のために女性向けの内容を増やしたり、お洒落なCMを展開したりもしていますが)


母国語に置き換えれば、「誰でも人に教えられる水準の言葉を話すわけではない」ということが一目瞭然です。なのになぜ、英会話学校で英語力の試験さえも受けていない先生が、ネイティブであるという理由だけで堂々と英語を教えることができるのでしょうか。

以前勤めていたスクールでは面接だけでなく、採用時にアンケートと称して長々とエッセイを書かされ、実際に「断られちまったよ」という人にも会ったことがあります。しかし、その前に教えていた昨年倒産したスクールでは、作文さえろくにできない先生もいました。(その一方ではニューヨークの弁護士資格を持っている人や、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院で東洋研究の修士を目指しているすごい人もいましたが。)英語力の確認のなかったNOVA(知人情報)も、緑の看板の学校(私自身の経験。簡単な集団面接のみで採用されてしまいました)も、そのようなバラつきの大きい状態であることが容易に想像できます。

ネイティブなら誰でも正しく美しい英語を話すというわけではない。逆にノン・ネイティブでもネイティブから尊敬されるような英語を話すことができる。

この「英語」を「日本語」に置き換えるだけで、実は当たり前のことを言っているに過ぎないということが良く分かると思います。

皆さんも先生を選ぶときに覚えておいてくださいね。
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2007年04月27日

目的と手段

ここのところ、企業派遣レッスンでの雑談が大幅に増えています。

今日に至っては、教えている片方の生徒さんから「T先生から、ペースが落ちているから、もっとペースアップした方が良いと指摘された」と言われてしまいました。(この方のレッスンは別な教師Tと交代で教えているのです)

でも私が「あなたはどうなの?どうしてもこの本を終わらせたいと考えているの?」と聞くと、彼女は「いいえ。教科書は一般的な話題にしか触れていないけど、仕事ではもっと専門的な語彙が求められるので、こうやって仕事の話をしている方が役に立っているような気がします」と答えたのです。
「じゃあ、Tにもペースダウンを気にしていない、と伝えておいてね」ということになりました。

T先生の気持ちも良く分かります。一応目安として40レッスンで1レベル終了を目標として掲げており、生徒さんの方でもそれを期待しているのですから。
事実、この前のクールで同じくTと一緒に担当していた生徒さんは、進度が落ちるとかなり焦っていました。

でも、テキストは手段に過ぎないのです。テキストを終えることにばかり集中しても、大して意味がない気がします。それよりも、今までレッスンでやった内容がちゃんと定着しているか、そしてそれを使いまわせるか、の方がはるかに重要です。
実際、とにかくこのレベルを終わらせたい!と訴える人ほど、前にやった知識があやふやだったりします。

そのような意味においては、焦らない彼女は非常に賢いといえます。事実、彼女のリスニング力、理解力は、いつの間にか現時点のレベル(レベル2)をはるかに超えるものになっています。なんせ、通常はレベル7の人に教える、日本の金融界をネタにしたジョークを聞いて一発で理解し、膝を叩いて喜んでいたくらいですから。(彼女自身、金融機関に勤めている、というのもありますが)

なぜ雑談も重要か、と言うと、言語はコミュニケーションの手段に過ぎないからです。

これぞ、学校英語と英会話の最大の違いかもしれません。

学校英語、特に文法を重視するような授業では、言語構造そのものを理解することに重きがおかれ、手段がいわば目的化してしまっています。
手段を手段として使う、つまり英語「を」勉強するのではなく、英語「で」勉強する、という意識が足りないため、多くの人は学校で一生懸命勉強した英語を、実際に使うのに苦労するのだと思います。

逆に雑談こそ、この言語の「手段性」を最大限に活かせるものなのです。

仕事の愚痴でも、皐月賞であてが外れて悔しい思いをした話でも、どこどこのイタリアンレストランが美味しい、という情報でも、ささやかながら英語「で」学ぶ・教える、ということにつながるのです。

もちろん、雑談だけでは意味がありません。きちんとしたカリキュラムという骨組みがあって、「このレベルならこれくらいの文法や語彙を使いこなせなければならない」という明確な基準がどこかにあり、それに合わせて軌道修正することによって、最大限効果が発揮されるのです。

なので、なるべく今までやった内容を活用できるように工夫はしているつもりですし、すでに練習したことのある構文で間違えたときには、雑談であろうともすぐに訂正します。

最近の例で感心したのは、とある競馬好きの生徒さんの話です。彼は皐月賞で負けてしまった話をした後、「例年は6万くらいを競馬で摩ってしまうのですが、今年はすでに4万ほど損しています」という話をちゃんと現在形と現在完了形(2ヶ月ほど前にレッスンでやった構文)を上手に使い分けて説明した上、私が「ええ?どうして?」と聞き返すと、通帳を取り出して、「ほら、ここに引き出しがあって、預け入れがあって、引き出しがあって、預け入れが...ない」とこれも2ヶ月ほど前のレッスンで学習した語彙を使いこなしながら解説したのです。
これには正直、参ってしまいました。

(ちなみに、この方はいつも仕事で疲れているからか、雑談がメインになってしまい、最初に紹介した女性の生徒さんよりもテキストの進み具合が遅いくらいなのですが、それでも確実に上達している気がします)


英語の勉強というと、学校英語の影響からか、どうしても知識を増やすことそのものが一種の目的になってしまっている方が多いような気がします。
だからこそ、多くの英会話スクールで「生きた英語を」というときに、初級レベルにおいてもネイティブが使うようなイディオムやスラングの習得に重点をおくようなカリキュラム(幸い、私が教えているスクールではそのような的外れなことは要求されない)が構成されてしまうのでしょう。

しかし、本当の「生きた英語」というものは、そんなものではありません。ただ単に英語が完全に手段化され、それほど深く考えずに身近な話題についてスムーズに情報交換ができる状態を指すのだと思います。

中々英語が上達しない、と悩んでいる皆さん。英語を「手段化」できていますか?
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2007年04月15日

目は口ほどに

ものを言う、とは日本語の表現にもありますよね。

先日、これを実感しました。

とても真面目な生徒さんを教えたのです。

復習をしっかりやっているらしく、一度やった内容はしっかりおさえてあります。一つ質問をすると、(レベル1であるにも拘らず!)すらすらといくつもの文を並べた長い答えを返してきてくれます。

「次回は会社の組織について話しますからね。会社に英語で書かれた組織表みたいなものがあれば、持って来られると良いですよ」と言うと、次の日(たまたままた私が当たったのですが)ノートに会社の各部門とそれぞれの英訳がびっしりと書き込まれたのを見せてくれました。

ところがこの方、スピーキングはかなり力がついているにも拘らず、リスニングがそれほど得意ではないのです。
CDでのリスニングは、まあそのレベルを考えれば平均的なのですが、スピーキング力を考えるとちょっとバランスが悪いくらい。
それよりも、実際の会話において、良く聞き間違いをし、前述の長い答えも頓珍漢であることが多いのです。

なぜこんなにしゃべれるのに、聞き取れないんだろう、と考えていたら、その方が極端にアイコンタクトが少ないことが原因であるような気がしました。

本当に目が合わなかったのです。
私が話しているときも、彼自身が話しているときも、下を向いているか、明後日の方を見ているか、どちらかでした。
(左上の方ばかり見ていた、ということは視覚情報を思い出そうとしていた、ということでしょうか。頭の中で作文し、そこに表示されたものを読み上げる、というやり方を取っていたのかもしれません)

こちらとしては非常にやりにくかったです。
まず、顔をしっかり見てもらえない、というのは何となく落ち着かないですね。
そしてそれより、私が目や表情で訴えている情報に全く気付いてくれなかったのです。

例えば、私は間違いを訂正するときに、すぐに否定的なコメントを出すのは控えるようにしています。眉を軽くしかめたり、首をちょっと傾げたりして、自分で間違いに気付き、訂正するのを待ちます。多くの生徒さんの場合、それで十分であるため、私は褒めさえすれば良く、非常に楽なのです。
しかし、彼はそれに全く気付いてくれず、こちらからわざわざ「それは、○○ね」と一々言わなければなりませんでした。

思えば、全くの初心者でも習得しようとしている言語しか使わずに教える、というダイレクト・メソッドがちゃんと機能するのは、このような非言語コミュニケーションをフル活用するからなのでしょうね。
相手の目を通じて心を読むことによって、たとえ片言でもコミュニケーションが成立し、次のステップへと進めるのです。
(一時期テレパシーに凝りましたが、すべての人に通用するわけではないのと、あまりにも強引な気がしたのとで、やめてしまいました)

この生徒さんのような場合、一生懸命努力されているためなおさら、アイコンタクトなどのコトバ以外の情報が読み取れていないのが惜しい気がしました。それがもう少しできればもっとコミュニケーションがスムーズに行くのに、と。

で、指摘すべきかどうかを迷っていたところ、ちょうどカウンセリング用のコメントを頼まれたので、迷わずそれも書きました。
目的が「仕事のため」、とあったからです。欧米人相手に、まっすぐ相手の目を見て話すことができなければ、信用できない、と思われてしまいます。

そして、実際にカウンセリングを担当されたスタッフの人によると「日本語で話しているときも全然目が合わなかったですね。とってもシャイなのでしょう。でも本人も自覚はしている、と言っていましたよ」とのことでした。
一応、「相手の目を見るのが苦手なら、両目と口を結んだ三角形の中のどこかを見るようにすれば良い、と伝えてください」とは言っておいたのですが。


ちなみに、アイコンタクト、と言っても、むやみやたらと相手の目をじーっと見ていれば良い、というわけではありません。適度に外すことも重要です。そして、達成したい目的によってどこを集中的に見るかを変えるべきだそうです。

例えば、先に紹介した「両目と口を結んだ三角形」当たりに視線を集中させるのは、いわゆる "social gaze"(社交的な視線)として、相手に最も好感を持ってもらえる視線の使い方らしいです。
(これをあるレッスンで意識的に使ったところ、その生徒さんにリクエストされ、効果のほどを実感しました。それ以来、こわくなってあまり使っていません)

相手を圧倒したいなら、"power gaze" (威圧的な視線)というのもあります。相手の目と目の間を集中してみるのです。

そして、相手に対して異性としての好意を示したいなら、"sexual gaze" (性的な視線)があります。これは、両目から胸の下辺りまで、と視線を動かす範囲を広げます。
(これも面白半分で実験したところ、誤解されてしまったため、お蔵入りしています)

これらの話は、"The Definitive Book of Body Language"という本で読んだものなので、興味のある方は是非一読を。
ベストセラーだった『話を聞かない男、地図を読めない女』を執筆したピーズ夫妻によるものです。

bodylanguage.jpg

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2007年03月10日

電子辞書の選び方

電子辞書については、以前も何度か言及したことがあるのですが、先日「どのようなものを選べば良いのかが分からない」という質問を受け、肝心の選び方については英文でしか書いていなかったことを思い出し、ここで私なりの考えを整理したいと思いました。

まず、そもそも電子辞書が必需品か。

となると、必ずしもYesではないと思います。

仕事で英語を使う場合は、あった方が良いでしょう。特に英文でのメールのやり取りが多い場合には、言葉を正確に使い分けるためにも、あった方が便利です。
ただ、そんなにお金を投資したくない、メールが主だ、という場合であれば、『英辞郎』のネット版(無料)で用が足りることも多いみたいです。

仕事で英語を使わない場合は、レベルにもよります。

英会話初級者であれば、電子辞書はあまり必要はないと言えるでしょう。どうしても、という場合には、ポケット版の英和・和英辞典を持ち歩き、それで間に合わない分は直接先生に聞くか、家に帰ってから調べる、という形を取った方が良いと思います。
辞書に頼りすぎてしまうと、自分の頭で考えて工夫する、というステップが抜けてしまうからです。

ただ、中級以上になれば、辞書はあった方が良いですね。しかもこのレベルでは、辞書の使い方を学ぶ良い機会でもあるので、紙の辞書よりも複数の辞書が収録された電子辞書の方が勉強になります。

中学生・高校生であれば、紙の辞書の方が良いような気もします。自分で線を引いたりすることもできますし、速く検索するための訓練はそのまま長文読解の訓練にもなりますから。それに、手垢で黒くなった辞書を見ると「ああ、一生懸命勉強したなあ」という実感が湧きますよね?


以上より、具体的にどのような辞書がお勧めかと言うと:

英会話初級者であり、かつあまり語彙に自信がない場合

このレベルでハイエンドの辞書を買っても豚に真珠です。使いこなすことができません。ですから、身の丈にあったものを選ぶのが大事です。
最低限そろえたいのは、良い学習者向きの英英辞典。『ネイティブのように辞書を引こう』で紹介したオックスフォード現代英英辞典(Oxford Advanced Learner's Dictionary)や、Collins Cobuildあたりが、比較的易しい言葉を用いて丁寧な説明がなされており、使いやすいと思います。
これが一つ入っていれば、英和・和英がジーニアスのみ(結構首を傾げたくなるような記述が多く、個人的にはあまり好きではないのですが)であっても構いません。ただ、英英辞典が入っていないものは、なるべく避けるべきです。

中級以上の場合
この場合にぜひ持っていたのは、英英の類語辞典です。これは語彙を増やすのに非常に役に立つからです。

会話はあまり得意ではないが、仕事で専門用語を使う必要性がある、もしくは、語彙には自信がある場合
上級者の場合

英和・和英・英英で大辞典があった方が良いでしょう。ただ、使いこなすためにはあるていど語彙が必要なので、それは肝に銘じておくべきです。
また、上級者であれば、研究社の『英和活用大辞典』もそろえておきたいかもしれません。これは言葉の微妙なニュアンスの違いや、良い組み合わせを知ることができます。


大体、私が考えるところの適性は上記のようなものですが、個人的な相性や使い勝手も大事です。
一番良い選び方は、
1.よく知っている言葉
2.最近知った言葉
3.知りたいと思っている言葉

をそれぞれいくつかリストアップしておいて、店頭で辞書で引いてみることです。このリストに専門用語が入っていたら、「やっぱり大辞典がないとだめだ」と思うかもしれませんし、定義をみて「大辞典でも使いこなせそうだ」と思うかもしれません。
ジャンプ機能(個人的にはこれが一番重要)もメーカーによって使い勝手が違うので、一括検索や、同じ言葉で英和→英英へとジャンプしたり、和英で出てきた単語を英英で引きなおしたり、といろいろと試してみると良いでしょう。

大事なのは、「今」の自分のニーズに合っているものを選ぶことだと思います。消耗品ですし、もっと良いのが欲しくなったら、家族や友人・同僚に譲ればいいのですから。

少しでも参考になれば幸いです。
posted by EnglishMaster at 16:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月27日

リスニングと文法

週末に強烈な頭痛で倒れ、せっかくの休暇が台無しになってしまった上、未だにどことなく本調子に戻れていない感じがするので軽めの話題です。

さて、リスニングと文法と言うと、一見あまり関係ないように思えますが、文法の知識がリスニング能力の限界を画する格好の例を最近目にしたため、ここで紹介します。

『知恵蔵』上で、ある "YouTube" 上のビデオ・クリップで何を言っているのかを問う質問が出ていました。

どのようなビデオ・クリップかというと、かの有名な MasterCard の「プライスレス」というキャッチフレーズのCMのパロディで、中々気の利いた内容のものでした。

(興味がある方は、YouTube上で "MasterCard +parody" で検索してみてください。ご覧になると分かると思いますが、若干公序良俗に反する面があるため、ここであえてリンクを張るのは控えておきます)

さて、肝心の質問に対する回答ですが、結構世の中にはリスニングに自信がある人が多いらしく、私が見た時点ですでに4人ほどの方が「こう言っている」ということで、台詞を書き出していました。
しかし、どの回答も文法的に微妙におかしいような気がしたのです。

そして、実際にそのビデオ・クリップを自分でも見たとき、なぜそのようなことが起きてしまったのかが良く分かりました。

問題となっている台詞のうちの一文が

If need be, he'll come down himself and do it.

というものだったのですが、この文の冒頭は、条件法の中で仮定法を使う、というものすごく高度な文法を使っていたのです。

そして、この "If need be..." という構文になじみが無かった方は、せっかくキーワードを聞き取っていながらも、正確に文章を再現することができず、余計な言葉をくっつけてしまったり、他の全く見当違いの言葉を入れてしまったりしていました。

もう一つこの台詞の落とし穴は、再帰代名詞を用いた強調構文 "he'll come down himself" だったかもしれません。やっぱり再帰代名詞の正確な使い方が分かっていないと、"himself" は聞き取れていながらも、若干違う位置にあると勘違いしてしまった方がいらっしゃったみたいです。

でも、よく考えてみれば、シャドーイングもディクテーションも構文をしっかり理解してこそ完璧にできるものであるため、これは全然不思議なことではないかもしれませんね。

やっぱりどのレベルにおいてでも、決して文法を侮ってはいけない、ということでしょうか。
posted by EnglishMaster at 23:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月23日

音楽と語学

語学を学ぶのと、音楽を学ぶのとでは、非常に共通点が多いような気がします。

両方とも耳が重要であり、音楽が得意な人は語学も得意であるという事実もありますが、それだけではありません。
教え方の見本として、私が一番参考にしているのは、子どもの頃習ったバイオリンの先生だからです。

その先生は正確には二人目の先生でした。

一人目の先生は、6ヶ月しか習わなかったのですが、最初の2、3ヶ月はろくに楽器にも触らせてくれなかった挙句、いざ弾き始めると、見本の演奏をするときにはあくまでも彼女の水準で演奏していたのです。つまり、初心者の私にはまだ使えるはずのない、ビブラートなども使っていたのです。
私は、ああ、あのように弾くためにはものすごく時間がかかるんだなあ、と考えていたのを覚えています。

それに引き換え、二人目の先生は全く対照的でした。
なぜか地元の音楽学校にオイストラフの弟子でモスクワ音楽院で博士号を取ったというすごい先生がいた、という幸運に恵まれてのことだったのですが、彼女は常に生徒のレベルに合わせる、という今考えればものすごい技をやってのけたのです。

具体的には、というと、彼女は見本の演奏をするときに、必ず生徒の楽器を使ったのです。私が最初に弾いていた楽器などは、機械で作られた安物だったのですが、それでも彼女の手にかかるとちゃんと良い音が出ました。それに加え、彼女は、その時点でその生徒が使えるテクニックしか使わなかったのです。

つまり、安物のバイオリンであって、ビブラートなんぞ使えなくても、こんなに素晴らしい演奏ができるのだ、ということを身をもって示したのです。急に目標が身近になったのです。だから私は焦って「早くビブラートができるようになりたい」という考えを捨てました。まずは、持ち合わせている限られた技術だけで、どれだけ良い演奏をできるのか、ということに集中できましたね。
(そして、ちゃんと適当な時期になってからビブラートを教わったため、それを自在にコントロールできるようになったのです。その頃になって、ひょっとしたら最初の先生はビブラートなしでの演奏などできなかったのかもしれない、と気付きました)


もちろんその先生の足元にも及びませんが、私もできるだけ上手く生徒のレベルに合わせることを心がけています。

大体、どのレベルのどの章をやっているかによって、今までどのような構文を身につけてきたのかが分かりますから、例えばレベル2以下の生徒さんだったら、私の方から完了形を使ったりすることは避けます。(生徒さんがすでに知っていて、自分から使う場合には、正しく使えていないときのみ、何らかの指摘をしますが、深入りはしません)

初級レベルの生徒さんがすぐに電子辞書に手を伸ばすのを嫌がるのも、そのような理由からです。下手に背伸びをするよりも、それこそ確実に使いこなせる限られた語彙や構文だけを用いて、どこまで流暢に話せるのか、ということに集中して欲しいからです。

だから、教科書にない新しい単語を教えるときには、かなり慎重になります。昨日は、「神話」の話をするときに、あえて "myth" という言葉を使わずに "stories of the gods" と言い換えましたし、今の季節によく話題になる「花粉」でも、まず何らかの噛み砕いた表現で説明し、またはさせてから、"pollen" という言葉を教えます。
(その一方では、同じく昨日ですが、レベル2の生徒さんが、報告書をいちいち印刷して、担当者のはんこをもらわなければならくて無駄が多い、という会社の現状を上手く説明したときに、「そういうのは bureaucratic(官僚的)と言うのだよ」と教えてあげましたが)

最近書いた記事で、生徒のためにいたずらに自分の英語のレベルを下げることはない、と書いたため、誤解の無いように付け足しますが、妥協しないのはスピードや流暢性、発音などです。あと、ほとんど必ずフル・センテンスを使うことを要求する点でしょうか。特に何かを何度か繰り返すときなどは、容赦なく私が本来話すスピード(ちなみにこれは同僚からも速い、といわれます)に戻してしまいます。今までやった内容、という限られた範囲においてでも、テレビや映画で同じ表現を耳にしたときには聞き取れるようになって欲しいからです。

正直、難しいですね。
言葉を選ぶよりもまず非常にゆっくりと話して見るほうが楽ですし、とある構文を使いたくない場合には他の構文を駆使してフル・センテンスを使うよりも、ブロークンに話した方がはるかに楽です。
事実、あまり経験がない先生などにはこのような傾向が見られます。でも、これでは生徒さんに変な妥協と諦めをもたらしてしまうに過ぎません。本物の実力は付かないのです。

ツールは限定しても、その一つ一つを確実に使いこなせていくようにする。つまり、最初の例にたとえるなら、たとえ安物のバイオリンしかなくても、もっと高いバイオリンがなければ上手く弾けない、などとは言わずに、まずはそれで可能な限り最高の演奏を目指す。
これこそ、応用力を養い、どのような場面でも通用する語学力を身につける鍵だと思います。

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2007年02月18日

リーディングの技術

中上級レベルになってくると、必然的に「読む」量も多くなってきますが、そのときに気になるのが、多くの人が学校で英語を習ったときと同じような読み方をしている点です。

その読み方とは、冒頭から丁寧にしらみつぶしで読んでいくことです。分からない言葉があれば辞書で引き、どのような構文であるかまで理解しないと気になって仕方がない、という方が結構いらっしゃいます。

でもそのような読み方が必ずしも良いとは限りません。特に複雑で長い文章を読んでいるときであれば、「木を見て森を見ず」という状態になりかねないからです。

このような状態に陥っていた生徒さんを先週教えていたときに思いついたアナロジーが「家を建てる」です。

一部屋一部屋内装まで完成させながら工事を進めていった場合(増築した場合を想像すると良いでしょう)、時間がより多くかかりますし、割高でもあります。下手すれば、どこかで辻褄が合わなくなって変な段差ができてしまう、という危険性もあります。

一方、通常はまず骨格を作り、それに肉付けをしていき、重要だと思われる部分にはお金を注ぎ込んで、そうでないところは適当に手を抜きますよね。

リーディングでも同じです。

全体的な文章の構造を掴んでから、重要と思われるポイントだけを拾い読みして、分からない単語は文脈から推測する、というテクニックを身につけるだけで、大分英語を読むのも楽になり、時間も短縮できるのです。

それを意識して、最近は、(もちろん相手にもよりますが)長文のリーディングを苦痛に感じているらしい生徒さん相手の時には、いかにして読まずに理解するか、という不謹慎なことに力を入れています。

ちなみに、少なくとも予備校では、試験対策として段々このようなテクニックを教えるようになってきているみたいですね。

とはいえ、これはケース・バイ・ケースで、始めにあらすじを頭の中に入れておくのは必ずしも最良の方法とは言えません。
だって、推理小説を読む前にあらすじを読んでしまったら犯人が誰かが分かってしまうでしょう?

そんなわけで、先週手に入れたプラトンの『国家』の英訳版を読むときに(恥ずかしながら、私はまだ読んでいなかったのです)、私はあえて冒頭に親切に添えてある「各巻のあらすじ」を無視して、いきなり本文と悪戦苦闘しています。

最初はソクラテスが単に相手の揚げ足を取っているようにしか思えなかったのですが、一生懸命議論を追っているうちに「ひょっとしたら最終的にはこのような指摘をしたいのではないか」とひらめいたりします。
これは結構楽しいです。

それとも単に暇である、というだけのことでしょうか。
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2007年02月11日

Misinterpretation

2週間前、とある本の一節を生徒さんと一緒に読み、解説していたところ、「誤読ばっかりですね」とかなり落ち込まれたご様子でした。

でも考えてみれば、私も決して誤読と無縁な訳ではありません。

最近、以前に何度も再読している本を読み直しながら、1箇所解釈が誤っていたことに気付きました。

ちなみに、その本はディック・フランシス著の "Break In" という小説です。

breakin.jpg

この著者、元は騎手であり、落馬して馬に乗れなくなってからスポーツ紙の記者を経て小説家になった方で、著書は多かれ少なかれ競馬と縁があるストーリー展開になっています。

テンポが良く、程よい緊張感が漂う、非常に面白い話ばかりなのですが、スラングや口語表現が多いのが学習者にはネックになってしまうかもしれません。毎週定期的に教えている生徒さんに競馬好きな人がいたため、フランシスの小説をクリスマス・プレゼントにしてあげようと思ったのですが、客観的な目で見たらとても初級者に理解できるものではありません。幸い、やや古い(発表年からすると)本でしたが、Oxford Reader版があったため、そちらにしました。

さて、誤読箇所に話を戻すと、それは以下のようなパッセージでした。

"Still, we tried hard, finished third, and seemed to give moderate pleasure to owners and trainer. Bread and butter for me; expenses covered for them."

これを最初に読んだとき、疑問に思ったものです。
なぜなら、"them" がてっきり "bread and butter" を指しているのかと思い、「パンとバターを食べ、それは経費でまかなわれた」と解釈したからです。
しかし、騎手として常にダイエットをしていなければならない主人公は、トーストにバターさえ塗らない、という話も後に出てきます。一体これはどういうことだろう、と。

それが、最近読み返したとき、謎が解けました。

"Bread and butter" とは「生活の糧」を意味していたのであり、"them" は "owners and trainer" を指していたのです。
つまり、「頑張って3着になり、馬主と調教師を多少なりとも喜ばせることが出来たようだった。私は生活の糧を得、彼らは経費の元が取れたのだ」という意味だったのですね。

一旦分かってしまうと、「どうしてあんな誤解をしていたのだろう」と思うのですが、誤読とはそういうものかも知れませんね。おかしいと思いながら、いくらあがいても良く分からないのに、一旦分かってしまえばなぜ分からなかったのかさえ分からなくなってくるので、不思議なものです。

大事なのは、論理的に辻褄が合わないときに「そういうものだ」と割り切ってしまわずに、「解釈が間違っているのだろうか」と疑う気持ちかもしれませんね。
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2007年02月10日

自己暗示?

実は、昨夜の記事を書いてから、ふと思い当たることがあったので、ここに紹介します。

今教えている生徒さんに、Sさんという方がいます。銀座校にいたときからのつきあいで、もう3年以上も通っていただいているのでしょうか。

私が彼女を最初に教えたときか、二度目に教えたときかを正確には記憶していないのですが、とにかくラッキーなことにグループの他の生徒さんが欠席されたため、彼女はプライベート・レッスン状態になったのです。

彼女がそれまでのレッスンの内容をきちんと使いこなせておらず、未だに一旦英文を復唱して、日本語でぶつぶつつぶやかないと質問に答えられなかったのに危機感を感じた私は、やる内容を絞り込んで、同じ質疑応答を根気良く5回も10回も繰り返しました。
語順が違ったのでもう一回、助動詞が抜けたのでもう一回、冠詞が違ったのでもう一回、完璧だったけど、もっとテンポ良く言えるように仕上げにもう一回、という具合に。
それで、今度は同じ例文の目的語だけを変えたりして、最後に目的語だけでなく、動詞も変える、という調子で、たった一つの構文を叩き込むのに、丸々2レッスンを費やしたのです。

すると次の週だったか、彼女はレッスン後、私をみつけると「すみません、日本語で良いですか?」と前置きをした上で、「実はこの間のレッスン、辛くて涙が出るかと思ったのですが、今回のレッスンで先生に質問されたとき、自分でもびっくりするほどすらすらと答えがでてきたのです。今までで初めてですよ、こんなこと」と感激した様子で話されました。

そして次に彼女を教えたときには、グループの他のメンバーもいたため、そこまで丁寧に教えることができなかったのですが、それでも彼女はそのレッスンのポイントを消化できたようだったので、ああ、自信がついて、ちゃんとついていけるようになったのだな、と安心しました。。

ところが、そのグループがレベルの総復習をやるレッスンを担当したときです。
なんと、私が教えた単元の内容に関してはきちんと答えられるのに、他の単元の知識は全くダメだったのです。これには頭を抱えてしまいました。
(ちなみに、彼女は決して努力を怠っていたのではなく、あれほど熱心に予習・復習をしているほども稀だ、と思わせたくらいです。ただ、足が速い人と遅い人がいるように、彼女は新しい表現を覚えるのに、他の人より少しばかり余計に時間がかかってしまうだけだったのです)

彼女は、私に教えて欲しい、とリクエストを入れて下さったみたいなのですが、最初はグループで受講している人はリクエストができない、と断られて、私に中々担当が回ってこなかったり、私の企業派遣レッスンが彼女のグループの時間帯と重なったりしたため、しばらくすっかりご無沙汰になってしまいました。

でも、数ヶ月ほど前に、今はレベル3に上がっている彼女をやっと教える機会があり(同僚に無理を言って勝手に代わってもらってしまいました)、未だに苦労している彼女でもついていけるようにレッスンを工夫したのです。

そして、一昨日、また彼女のグループでレベル3の中間復習を担当したとき、彼女はまた私が教えた単元のボキャブラリに関してだけ、率先して答えることが出来ていました。

そのときは、「やっぱり私は教え方がうまいんだ」なんて勝手に喜んでいました。しかし、良く考えると、実はそういう単純な問題ではないのかもしれません。

3ヶ月ほど前だったか、彼女と廊下ですれ違って挨拶したとき、彼女はまた「先生が教えてくれた内容は今でも覚えていますよ。最初に "I am wearing a suit," を教えてくれましたよね。でも先生に教わった分しか覚えていないのです。どうすれば良いのでしょう」
そのときは、3年も前にやった内容を正確に記憶していたことにただただ驚嘆したのですが、この彼女の言葉をよくよく振り返ってみると、実は彼女の頭の中には最初の成功体験が引き金になり「この先生に教わった内容は、絶対に忘れずに使いこなせるようになる」という強力な自己暗示になっていたのかもしれません。

だから、グループの他のメンバーが出席していて、つきっきりで丁寧に教えてあげることが出来なくても、レッスンの内容をちゃんと覚えていたのかもしれない、と考えることができます。

となると、先生に対する信頼は恐ろしいほど強力な力を持っている、ということですよね。
独りよがりかもしれませんが、自分が担っている責任、というものの重さに、愕然としてしまいました。
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2007年02月05日

Male Pride?

現在のカリキュラムでは、中上級に上がる時点で、「一般英会話コース」と「ビジネス英会話コース」のどちらかを選ばなければなりません。(ビジネス・コースだと、ライティングも入るので、厳密には「会話」のみではありませんが)

そして、グループで受講している場合には、メンバーでどちらに進むかについて、全員が同意しなければならないみたいです。

最近レベルアップしたグループの傾向を見ると、どうやら「ビジネス・コースをやりたい!」と頑張るのは男性の方らしいですね。女性の方は「難しそうだから一般コースの方が良い」と主張するみたいです。

それで大半のグループでは結局男性の方に押し切られてビジネス・コースに進むことに。

ところが、面白いことに、いざ蓋を開けてみると、最初は嫌々だった女性のほうがばっちり予習してあり、レッスン中に積極的に発言できたりするのです。

先日、レベル6でネゴシエーションを始めた女性も同じ。

グループのファイルに「彼はやる気だが、彼女は交渉に全く興味なし」というメモを見て、これは如何にして興味を持たせるかの勝負だ、と思ったのですが、彼女のノートには3ページ分ほどびっしりと新出単語の定義を書き出してあり、やる気であったはずの男性の方は全く予習した形跡が無かったのです。

決して予習を前提としているわけではないのですが、予習してあった分、彼女の方が堂々と「辞書を引いたけど、意味が良く分からなかった」と言うことができ、男性の方はついて行くのに精一杯になってしまいました。

また、実際に交渉のロールプレイをやる段階になると、片方が百戦錬磨の営業マンである場合を除いては、総じて女性の方がタフですね。

となると、なぜそこまで気合が入っていない男性(あくまでも一般論です)がビジネス・コースにこだわるのか、という疑問が生じるわけですが、ひょっとしたらこれは単にプライドの問題かもしれませんね。
「ビジネス英語を勉強している」と言った方が聞こえが良いとか。

一方、女性の方がより冷静に「どちらの方が自分のニーズや興味に合っているか」「どちらがより大変か」という問題を考えているのではないか、という気がしました。


今、我がスクールで使っている教材に関して言えば、ビジネス・コースの方が難しく、予習している人の比率も高いです。

でも、実社会においてはどうかというと、実はビジネス英語と言うものは非常に狭い範囲に限定されており、その狭い範囲を綿密にカバーしておけば大して困らないのです。

アメリカで10年以上ビジネスをやってきた父も、帰国後ほとんど勉強せずに「ビジネス英検」の1級を取って喜んでいましたが、「英検」の1級の方は娘が取ったから良い、などと訳の分からない理由ですっかりあきらめてしまいました。
実際彼が一番苦しんだのは、ビジネスの場ではなくて、ディナーなどの社交の場での会話だと今でも言っています。

これは習いに来る生徒さんにも見られる傾向で、上級者ほど「ビジネスにはほぼ困らないので、もっと会話の幅を広げたい」と言ってきます。

なので、決してビジネス英語の方が格が上だ、などと思い込まない方が良いですね。

ちなみに、はじめてコースが分かれるレベル5での一般コースでは副教材が発音の特訓のものですが、「意味が分からなくても正しく発音できるように」との趣旨から「翼竜」(pterodactyl)など普通のレッスンでは出てこないような、トリビア的なボキャブラリが結構たくさん出てきます。
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2007年01月24日

hit, hit, hit

少し古いものですが、また字幕ネタです。

数日前、メイク落としの儀式(私はクレンジング料を顔になじませ、テレビを見ながら20分ほどマッサージするのが好きなのです)のお供のためにケーブルテレビ上で『マイ・ネーム・イズ・アール』を見ていたときのこと。

画面上では大学の男子学生寮(厳密には fraternity house)で、ブラウニーを食べている二人の男子学生の間にこんな会話が交わされていました。

"Is it hitting you yet?"

"No, not yet."

どうやら、そのブラウニーにはマリファナが入っていて、それが「効いているのか?」「いや、まだだ」という内容である、と検討が付いたのですが、なんと字幕は、

「殴られているのか」

「いや、まだだ」

のような内容だったのです。(録画していなかったため、確認することができず、少し記憶が曖昧かもしれません)

なんか、場面にそぐわないな、と考えていたところ、ハチに刺された主人公が唇と耳を真っ赤に腫れ上がらせた状態でその部屋にやってきたのです。
ドアを開けてその哀れな彼を見たブラウニー一号は、

"Oh, yeah, it's hitting me."

みたいなことを言い、バタンとドアを閉めてしまいました。
つまり、「ついにマリファナが効き始めて、これは幻覚に違いないから無視してしまえ」ということだったのでしょう。

でも字幕は相変わらず、

「ああ、殴られたよ」

でバタンとドアを閉める、という事の流れになってしまっていました。
これはニュアンスがどうのこうの、という次元ではないですね。明らかに画面上で起こっている出来事と食い違っているのですから。
字幕製作者にはブラウニーの持つ意味が良く理解できなかったのでしょうか。
(とはいえ、私自身、幸か不幸かこの麻薬入りのブラウニーを食べたわけではなく、一体どこでこの知識を仕入れたのかが思い出せないのです)


ところで、この "hit" という動詞、考えてみると結構曲者です。

大分前に紹介した、"check" に勝らずとも劣らぬほど、多様な意味で用いられていますね。

先週、ある上級レベルの生徒さんを教えていたときに、テキストに
"now on the anti-globalization movement's hit list" という面白い表現があったのですが、その方はこの表現を理解するのに少し苦労してしまいました。これは "hit chart" のことなのか、と。
(ちなみに "hit list" とは、"hit" が「殺す」という意味で用いられることから転じた「抹殺対象者のリスト」を意味するものであり、前述の表現は「反グローバリゼーション運動に狙われることになった」のようなニュアンスになります)

さて、少々マニアックな域に入り込んでいきますが、"check" のときに習って動詞での使い方を挙げていくと、まず、
1. 殴る I hit the desk out of frustration.
2. 打つ I hit the ball out of the park.
3.当たる  Four out of the five arrows hit the target.
4. ぶつかる A car hit me as I was coming across the intersection!
5. ぶつける I hit a car with my bike the other day.
6. 襲う The tsunami hit the bay at around 5 a.m. / The robbers hit the bank at exactly 2 p.m.
7. 効く The beer really hit the spot!
8. [ hit the books というフレーズとして] 勉強する I guess I should go home and hit the books now if I want to pass the biology exam tomorrow.
9. 殺す

などが思いつきます。

他にもあったはずだと思い、愛用の英英大辞典を見たら...

まだ触れていない定義が10以上残っていることに気付き、とても今晩中にこの記事を仕上げるのは無理だということを思い知らされました。
申し訳ありません。

ということで、続きはまた後日に。
brownies.jpg
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2007年01月20日

レベル1の威力

今のスクールで教え始めて4年強、同じ教材を何百回、何千回と教えています。
中上級の新教材は一昨年導入されたものですが、初級の教材は私が入社したときに使い始めたものであるため、もうほとんど暗記してしまっています。

同僚が時々「現在完了進行形を扱う単元は何?」や「レベル2の第10章のトピックスは?」と聞いてきますが、そのときいつも即座に答えられるため「お前、もっとマシなことに頭を使えよ」と呆れられてしまっているほどです。

(生徒さんがある構文で躓いてしまったとき、「それはレベル3の第一章を見て復習すれば良いよ」などと指摘できるのは便利ですが)

でも、そんな状況でも、未だに新鮮な発見があったりします。

数週間前、道順をテーマにしたレベル1のレッスンを教えていたときのことです。

CDを聞いて、テキスト上に書かれている指示を順番通りに入れ替える、という内容のことをやっていたのですが、より実用性を持たせるために、最近は、聞いた内容を基に簡単な地図を書く、というアクティビティーも加えています。

で、その生徒さんに「地図を描いてください」と言ったところ、頭を捻りながら一応描けたのですが、大事な情報が抜けていました。

「"Turn right at the third light," とあったので、曲がる前のこの通りに信号が必要ですね」と言いながら、信号を書き込んであげたときです。
「"Turn right at the third light," で、"At the third light, turn right," では無いのですね?それとも両方使えるのですか?」と質問が来たのです。
(その方ははじめてのレッスンで、レッスンの冒頭で「コミュニケーションが成り立つには質問に答えるだけではダメです。ですから、どんどん質問をしてください。そのための訓練もします」と言ったのが効いていたのかもしれません)

実は、以前にこれをやってもらったときも、曲がった後の通りに信号を書き込んだ人がいて、なぜだろう、と思ったのですが、この質問を聞いてはじめて納得しました。
日本語では「三つ目の信号で右折」であるため、「右折、三つ目の信号で」という順番で情報を与えられると混乱してしまっていたのです。

そこで、これは英語の本質に触れてもらう良い機会だ、と考え「確かに"At the third light, turn right," という言い方もありますが、"Turn right at the third light," の方が原則です。なぜなら、英語では常にアクションの方が先に来るからです。"At the third light" は付随情報に過ぎないでしょう?だから後回しになるのです」と説明しました。

その生徒さんはしきりに感心していましたが、私は逆に疑問を感じてしまいました。なぜ、このような質問をせずに、すらすらと地図を描けてしまう生徒もいるのだろうか、というものです。

そのときに気付いたのが、すらすらと地図を描ける人のほとんどがレベル1の冒頭から始めており、動詞が先に来る、という原則をいやと言うほどすでに叩き込まれている、ということだったのです。
(質問をした生徒さんはたまたま、少し基礎があるということでレベル1の中盤から始めた方でした)

例えば、
「コンピュータは机の上にあります」は "The computer is on the desk,"
「私は今日、メガネをかけていません」だったら "I'm not wearing glasses today," になり、いずれも日本語とは全く語順が異なりますが、これはいずれも道順が出てくる第7章以前にやる構文です。このような内容の文をパッと作文できるレベルにあれば、"Turn right at the third light," と言われても全然混乱せずに済むのでしょう。
そして、第一章からスパルタ式にしごかれている生徒さんは(これはちょっと大げさかもしれませんが)実際にこれぐらいの文であればスラスラと口から出てくるのです。

これを考えると、レベル1と言えど決して侮れないな、と思います。
基本的な語順(動詞が先に来ることや、「コーヒー五杯」が "five cups of coffee" になることなど)が一通りカバーされているし、日本語ではほとんど同じような文である「彼女は背が高い」と「彼女は脚が長い」が英語では全く違う動詞を使わなければならないことにも慣れます。"I'd like a chicken," と "I'd like some chicken," の違いを通じて可算名詞・不可算名詞の違いにも触れますし、また現在形・現在進行形・過去形・過去進行形の4つに限られているとしても、きちんと時制を使い分けるように訓練されます。

つまり、いわゆる「英語らしさ」を構成する要素の大部分に触れる機会があるのです。

この時点において強固な土台ができており、この範囲においてだけでも「英語で考えて、話す」ということができれば、とりあえずのコミュニケーションには困りませんし、もっと難しいレベルに上がってからも苦労しません。(なんせ、レベル1と言えどもブロークンな英語は許されず、必ずフル・センテンスで話すことが求められますから)
またカバーする内容が限られている分、教える側としては冠詞や前置詞のような細かい点までチェックすることができます。

家を建てるときに基礎工事がしっかりしていれば大地震があっても大丈夫であるのと同じように、語学も基礎にこそ一番時間をかけなければならないと思います。
レベル3あたりになって躓いてペースダウンしてしまっている人は、レベル1程度の質問を英語のまま理解し、答える、ということができていない人ばかりです。

だから、レベル1は簡単だから、と決して馬鹿にはしないように。
実はものすごく奥が深いのです。
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2007年01月08日

Eat up!

先週は妹と一緒に、先月このブログでも紹介した『ザ・ホワイトハウス』シーズン1の前半を見ました。
最初は「政治なんか興味がない」と言っていた妹ですが、だんだん物語りに引き込まれてしまったみたいです。(ただ、背景知識がなさすぎで、コールガールと娼婦はどう違うの?などと一々私に聞くあたりには少しうんざりしてしまいましたが)

母も忙しい中、興味を持って時々一緒に見ていたため、日本語字幕付きで見ていました。
字幕は回によって担当者が違うらしいのですが、全体的に上手く訳せており、勉強になる部分もありました。

ただ、一つだけ明らかに「誤訳」と言えるものを発見しました。
それともわざと全然違う台詞にしたのでしょうか...

第4話の最後の方です。

首席補佐官のレオが仕事に没頭したあまり結婚記念日を忘れてしまったことの埋め合わせとしてお祝いのディナーを企画し、その打ち合わせに仲間の知恵を借ります。結局奥さんはそれらの贈り物に見向きもせず、家を出て行ってしまうのですが、そんなことを仲間に言えないレオは、無理に笑顔を作り、あたかも上手く行ったかのようにふるまいます。

そのとき、1人が「バイオリニストはどうだった?」と聞いたのに対するレオの答えが
"You're right. After a couple of minutes, it was strange having him there, but you know... She ate it up!"
でした。
この字幕は
「やはり妙な雰囲気になってしまったが...料理は最高!」
となっていたのです。

この最後の部分に首を傾げてしまいました。なぜいきなり「料理」を持ち出してくるのか、ということです。(もっとも、この字幕を見た母は喜んでいたので、面白くしようとわざと間違えたことも考えられるのですが)

このように "eat sth up" を口語的に使うときには、私の愛用の辞書の定義を借りれば
4 slang : to exhibit avid interest in or enjoyment of
ということを意味します。

つまり、この場面でレオが言わんとしていたのは「妙な雰囲気になってしまったけど、それでも大いに喜んでくれたよ」ということで、料理には一切触れていなかったはずです。

この表現が良く使われるのは、マイナスの要素が入ってしまっているものを、受け取る側がそのマイナス面を気にせずに喜ぶ場合ですね。(上記の引用例文の "lurid" や "maudlin" が決してポジティブな言葉でない点にも注目してください)
例えば、単にお世辞で言ったつもりのことを相手が額面通りに受け取って、素直に喜んでくれたときに使います。

なお、この "eat sth up" だと、大いに熱中する、喜ぶ、という意味で、人が主語のときに "eat sb up" (e.g. I could just eat you up.)であれば「大好き」「溺愛している」という意味になります。
しかし、人ではないものを主語に持ってきて "eat sb up" という表現にすると ("Her jealousy just ate me up.")「悩ます」「うんざりさせる」というマイナスのイメージに変わってしまいます。
強いて言うなれば、前者は「食う」関係にあり、後者は「食われる」関係にあり、その差である、ということでしょうか。

最後に、目的語もなにもなしに、"Eat up!" と言うこともできます。
これは「召し上がれ!」という意味で、食事の時に使うものです。
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2007年01月03日

お正月用語

昨日は都内の神社二ヶ所に初詣に行ってきました。
振袖で初詣をしている人も何人かみかけ、妹と一緒に「結婚してしまう前に一度はやってみたいよね」という話になりました。

我が家はどちらかというといわゆる「伝統的な」日本のお正月を重視しているかもしれません。
海外で暮らしていたころは、お正月こそが日本人としてのアイデンティティーを再認識する機会であったため、大晦日にはNHKの海外向けの放送で紅白歌合戦を見、年が明けると妹たちと着物を着こんで百人一首をやるぐらいの徹底ぶりでしたから。

その一環として始めたのが、おせち料理作りで、これは今でも続いています。

osechi.jpg

今教えている教材で、自国の新年の迎え方について語る、という単元があるのですが、おせち料理がどのようなものであるのかを説明するのに、意外と苦労する人が多いですね。おせち料理を食べる人が少なくなってきていて、しかも自宅で作るのはそのさらに一部になってしまっているからでしょうか。

分からない場合には、Wikipedia などのページを見ると良いですね。かなり親切に解説してありますし、意味が分かっていると不思議なことにありがたみも美味しさも増します。

伝統文化一般に言えることですが、日本の料理を英語で紹介するときの基本は、とりあえず日本語名でそのまま紹介して、背景事情を分かりやすく説明することです。

せめてそれだけでおせちの基本が整うと言われている肴三種の田作り、黒豆(black soybeans)、数の子(herring roe)に関してちゃんと背景事情を説明できれば、カッコいいと思います。

田作りは残念ながらそこまで簡単な訳が思いつきません。一応私はアメリカ人の同僚に紹介したときにはそれが "seared and caramelized baby sardines" (炒って、飴にからめたイワシの稚魚)であることを説明し、ついでに 'maker of fields' という名前が、イワシが肥料に用いられたことに由来することや、別名の「ごまめ」の「まめ」が英語で言う "diligence" と "health" を意味することを説明しました。
(毎年田作りを作るのが私の担当となっているため、作り方を思い出しながら解説しました。作ったことがあると、簡単ですね)

あと、忘れてならないのは「お屠蘇」。説明としては "a special liquer made by steeping herbs in sake" で十分どのようなものか伝わると思いますが、実はこの漢字、「邪気を屠り、魂を蘇らす」(to drive away evil and revive the soul)という思いに由来するみたいですね。恥ずかしながらこれは今年、樫原神宮から頂いたお屠蘇の素に添えてあった解説書を読むまで知らなかったのですが、本当はここまで説明できれば言うことなしですね。

ちなみに、最初の初詣ですが、英語で説明するなら神社(shrine)に行くのか、お寺(temple)に行くのかによって、区別することになります。全部ひっくるめて、趣旨を含めて説明するのであれば、
"We visit shrines and temples in the new year to pay our respects to the gods."
という感じでしょうか。
多神教の国ならではの習慣ですよね。


ところで、我が家でも決して伝統一辺倒ではありません。新年へのカウントダウンはシャンパンで祝うし、昨日初詣の途中でのお昼はホテルでのランチビュッフェでした。(これでお腹一杯になりすぎて、夕食はお雑煮の代わりに雑炊になってしまいました)

何事もバランスが大事だ、ということでしょうね。
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2006年11月13日

担任制の魅力

今私が教えているスクールではいわゆる担任制というものを採っておらず、「様々な英語に触れられるように」というスローガンのもと、ローテーション制となっています。

ある生徒さんを専属的に教えるのは、(私が個人的に教えている人は除いて)その生徒さんの強い要望で「是非この先生に教えて欲しい!」と言われた場合、もしくは企業への派遣レッスンのときのみです。

生徒さんからリクエストがあったとしても、グループであるか個人レッスンであるか、はたまた個人であってもリクエストの度合いによって当たる確率が変わったりしますが、レッスンの5割以上担当することは珍しいですね。

でも、今年に入って何度か企業派遣レッスンやリクエストを通じて専属的に教える生徒を持ち、特に初心者であればやっぱり担任制は良いな、と実感しています。

まず第一に、教える側として責任を感じます。
生徒を見れば、どんな先生に教わってきたかがすぐに分かります。
もし教えた人がいつまで経ってもブロークンな英語しか話せないのであれば、それは私以外の誰の責任でもないため、気合の入りようが違うような気がします。
子供っぽいかもしれませんが、自分が専属で教えている生徒さんが他のローテーションで教えている生徒さんに比べてよくできると、本当に嬉しいです。(本当は本人の努力・実力次第だというのは分かっているのですが)

また、前回にやった内容を覚えていなかったりすると、「何か教え方がまずかったに違いない」と反省し、ちゃんと復習します。前にやった内容がちゃんとできていなければ、次に進みません。そのように地盤を固めながらやっていくと、最初のうちは進度が遅いが、後のもっと難しい内容になったときにスピードアップする、という技が可能なのです。
でも、前回教えたのが他の先生であり、生徒さんが「分かっています。質問がありません」と言うと、実はあまりよく分かっていなくても「まあ本人がそう言っているなら良いか」という感じになってしまいます。もちろん、一旦出てきた内容はその後の章や応用されるため、一旦理解がおろそかになると後になってそのツケが回ってくるのですが。

第二に、担任だと厳しくなれます。
毎回教える先生が違う場合、宿題を出してもチェックされるかどうかが定かではありませんし、やってこなかったから、と怒られるわけでもありません。(大の大人がなぜ自主的に宿題をやれないのかも疑問ですが、私の見たところ、先生の数が多い大きいスクールほど宿題をちゃんとやる人が少ないような気がします)

担任であれば別です。「どうして宿題をやってこなかったの?」に始まり、前回の内容を覚えていなければ(内心は自分が悪かったのかもしれない、と思いながらも)「前回はちゃんとできたのに、どうして忘れてしまったの?ちゃんと復習をしなかったの?」と言えますから。
かなり怖いかもしれません。私に怒られるのが嫌で、たとえ午前様でもちゃんと宿題をやってくる生徒さんがいるくらいですから。でも、これが実は結構大事だったりするのです。

第三に、先生の数が少ないと、生徒さんの方も素直になれます。
いや、もともと素直な人に当たる、という幸運に恵まれただけかもしれませんが。
実際はそれほど怒らなくても、担任として教えていると皆さん確実に復習と宿題をやってくるのです。復習の仕方が分からない、と言われたときに、「では、とにかく教材のCDを聴いてください」とある生徒さんに言った時、彼は本当に行き帰りの通勤電車の中、ひたすら同じCDを聴き続け、飛躍的にリスニング力を上昇させました。

前回やった内容は確実にしておきなさい、と言われれば復習し、レッスンを録音しろ、と言われれば録音し、CDを聴け、といわれればひたすら聴く。こういう素直さがあってこそ上達するのですが、色々な先生から色々なことを言われると、中々そうはできないのかもしれません。
現に、ある生徒さんに録音を勧めたところ、次に当たったときには録音機器が一切見られなかったのです。そこで「どうしたの?」と尋ねてみると、「いや、日本語の解説がなかったから録音を聞き返しても良く分からなくて」という答えが返ってきて、唖然としてしまいました。たとえ趣旨を理解していなくても、言われたことを信じてやれば、趣旨は分かってくるものなのに、それ以前の時点で彼は放棄してしまっていたからです。勿体無いですね。

もちろん、良いことばかりではありません。

まず、相性が悪ければ悲劇ですね。
幸い個人的にはそういう経験は無いのですが、オール担任制を採用しているスクールでは時々あるみたいです。また企業派遣レッスンでも時々、先生を替えて欲しい、と言われることがあるみたいです。そう言われたらかなりショックでしょうね。

あと、当然ですが、担任制だとある程度その先生の話し方と言うものに染まってしまいます。だから場合によってはものすごくくだけた英語になったり、どちらかというとかしこまった英語になったり、はたまた先生の訛がうつったり、ということがあります。これはプラスにもマイナスにも働きうる要素ですね。

また、私のような人が教えた場合、あまり「外国人慣れ」という効果は期待できない、という欠点もあるかもしれません。本当にそういうことを求めているのであれば、の話ですが。

そして、ある程度できる生徒(最初からある程度実力があったり、またはたとえレベル1であっても読み書きには自信がある場合)であれば、やっぱり様々な人と様々な話をする方が楽しいし、良い訓練になると思います。

でも、本当に初心者の状態から始めるのであれば、責任をもって基礎を固めてくれる人に専属的に教えてもらうのが、一番効率が良いような気がしてなりません。
posted by EnglishMaster at 14:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月12日

発音記号

以前のいくつかの投稿で関連するコメントをいただいたので、発音記号について一言述べたいと思います。

発音記号。一般的に広く用いられているのは IPA(International Phonetic Alphabet)というものです。

実は、これほど便利なものはありません。
なぜなら、名称が示すとおり、真に International なものであり、あらゆる言語における音を表現することができるようになっています。

ですから、一旦マスターすれば、フランス語の音もドイツ語の音も日本語の音も、これ一つで表現することができます。
「ネイティブ発音付き電子辞書」に頼る必要など、全くありません。

(英語で用いられている記号の一覧はここよりどうぞ
このページの右側にある「RP」は "Received Pronunciation" (正統派のイギリス英語)、「GenAm」は "General American"、「AuE」は "Australian English" の略です。このように、子音の発音はどこでも同じで、「訛」というものは主に母音の発音の差に出てくることが良く分かると思います)

もちろん、カタカナに頼るよりもはるかに正確です。

例えば、何回か取り上げた R とL ですが、Rの音は "r"、 Lの音は "l"、日本語のラ行は "ɺ" という記号で表示されるため、違いが一目瞭然なのです

実は、恥ずかしながら私が本格的に発音記号というものを始めて意識したのは、大学でフランス語を勉強したときでした。
そのときの先生の一人が音声学の博士だったこともあり、発音を間違えると、実際に発音したとおり発音記号で書き取って、「今貴方が発音したのは、これです。でも本当はこの発音です」と教えてくれたので、ものすごく分かりやすかったことを覚えています。

それからしばらくは発音記号から遠ざかり、うろ覚えになったものもあったため、必要があれば辞書の巻頭にあるガイドを参考にする、という状況だったのですが、2年ほど前に発音中心の教材を教えることになり、慌てて総ざらいをして頭に叩き込みました。

すると、あら不思議。
その便利さにすっかり惚れ込んでしまい、普段のレッスンでもバンバン使い始めてしまいました。

例えば、"eigth" の発音の時、
"That sounds like "ace" [eis]. We're practicing "eigth" [eiθ] now."
と言って、最後の「s」と「θ」だけ書き出したりします。そして「θ」を見れば舌を歯の間に挟めば良い、と教えます。
気が付けば大学のとき、「ヒギンズ教授そっくり!」と憧れていたあの先生と同じことをやっているのです (^^;

ちなみに、妹によれば、今では中学校のオーラル・コミュニケーションの授業で発音記号を一通り教えているとか。
でも教え方が良く分からず、教材のビデオを流すだけで適当に終わらせている先生も多い、と憤慨していました。
posted by EnglishMaster at 23:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月26日

Multilingual

久々にジョークを一つ。

これは、レベル1の初級者でも必ず笑ってもらえます。

(それは、イラスト集に登場するマルチリンガルな人々を題材にして、ひたすら Does she speak French? Does he speak French well? What languages do they speak? という練習を延々と繰り返した後だからかもしれませんが)

If you speak two languages, you're bilingual.
If you speak three languages, you're trilingual.
If you speak one language... you're American!

要するに、アメリカ人(ちなみにこのジョークにはイギリス人バージョンとオーストラリア人バージョンもあります)だと、世界中の人々が英語を勉強してくれているので、必死に外国語を勉強する必要がなく、そのような努力をしている人も少ない、ということです。
自分たちの価値観がどこでも通用する、と勘違いしているアメリカ人が多い事実を揶揄している部分もあるのですが...


アメリカ人が英語を話せるのは当たり前です。
自信がない初心者の人はそれを忘れがちです。

でもまだまだ覚束ない状況にあっても、英語を学ぼうという姿勢を持っている人は母国語だけで満足している人よりもはるかにすごいよ。
このジョークを口にするときは、そんな心を伝えたいと思っています。
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2006年10月15日

SとVの言語

今日の夕食は脂がたっぷりとのった秋刀魚でした。

「秋はやっぱり秋刀魚だ」と思いません?

でも、この一文を英語に直そうと思った途端、途方に暮れてしまいました。主語も動詞もないからです。(ここで「秋」は主語ではなく、主題であるとみなしているため)

日本語にはそういう文が多い、ということに新たに気付かされたのは、Wikipediaで以下の記事を発見したときです。
Topic-prominent language
(日本語版もあります)
主題優勢言語

この記事を読んで、はじめて「は」の前の言葉が必ずしも英語的な意味での「主語」であるとは限らない(少なくともそう解釈する説がある)ことを知り、ショックでした。

と同時に、日ごろ耳にするちょっと不自然な英語の諸悪の根源はこれか、と目から鱗でしたね。

たとえば、厳密には

「私は美しい」(主語とみなせる)→ I am beautiful.
「私はビールだ」(話題語に過ぎない)→ As for me, [I'll have] beer.
(cf. I am beer, は英語では論理的に不可能)

つまり日本語は基本的に主題と述語の関係にあり、二つ目の文のように英語でいうSもVもなくても余裕で文を作れてしまうのです。
だから日本語で考えた内容をそのまま英語に直しても、ぎこちない文章になってしまうことが多いのでしょう。日本語の文の主語(もしくは主題)をそのまま英文の主語にしても、一文目のように上手くいくこともあれば、二文目のように必ずしも上手く行かないこともあるのはそのためです。

実は、これを考えると、『レストランは食べられる?』の項目で「あのレストランは美味しい」や「仕事が忙しい」の非論理性を糾弾したのは間違いだったのかもしれません。日本語の構造としては全然おかしくないのですから。
どうやら私は英語的基準を日本語に無理矢理当てはめてしまっていたみたいです。反省しています。


何はともあれ、やっぱり英作文をするなら、まっさらな状態で主語を何にするか、そして動詞を何にするかから考えなければなりません。
翻訳作業を中心とする勉強法に改めて限界を感じる今日この頃です。
posted by EnglishMaster at 23:45| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日

On the Air

大分長い間サボってしまいましたが、今日は久々に字幕ネタです。

最近は良い字幕ばかり見ていたので(特に先月紹介した Queer Eye は素晴らしいです!"Daddy" をちゃんと「パトロン」と訳していました!)あまり揚げ足を取る機会がなかったのですが、まだまだドラマの字幕は完璧とは行かないみたいです。

出典は、FOX Japan で毎週月曜9時放送の新番組、"Pepper Dennis" (邦題『ペッパー・恋するアンカーウーマン』)です。
http://www.foxjapan.com/tv/bangumi/pepper/index.html

「『アリー』のニュースキャスター版」という宣伝文句に引かれ、先週初回を録画して観たのですが、かなり字幕が怪しかったです。

まず、バーでの台詞で "This place is packed," が「込んでる」となっていました。「混んでる」の間違いではないか、と突っ込みを入れたくなりました。
その後、国語辞典で調べて、「込んでる」でも決して間違いではなく、むしろ「混んでる」の方が常用外であることを発見したのですが、少なくとも観ている時点では私の不信感をあおるのに十分でした。

続いて、主人公の上司が主人公に向かって新しいキャスターがカナダ人であり、カナダ人はやはり人気があることを伝えるために言うのが"It must be their plastic faces," という台詞です。

このような用法はあまり聞いたことが無いのですが、この字幕にあった「表情が穏やかだ」という訳ではちょっと飛躍しすぎであるような気がします。
"plastic" の性質から考えれば、柔らかくて形成しやすい、もしくは人工的、という性質が思い浮かびます。ということは、形容詞として使った場合にも、これらの性質と関連性がある解釈で無ければなりません。実際に工学や生物学などの分野で"plasticity" という名詞を目にしたことがありますが、それは「可塑性」や「適応性」を意味します。
そして、プラスチックが決して高級な素材ではないことより、それを形容詞的に用いた場合には中立的なニュアンスにはなりうるとはいえ、褒め言葉にはならないような気がします。

以上より、「プラスチック」⇒「穏やか」と結びつけてしまうのには少々無理があるように感じられます。

どちらかと言えば「柔軟な表情」もしくは「ポーカーフェイス」にした方がしっくりくるのではないでしょうか。
(引き合いに出された故ピーター・ジェニングスの顔を想像するとなおさらです)

でも、明らかにおかしいと思ったのは、主人公が中継中に誤って法オス禁止用語を使ってしまった後の台詞でした。
彼女は相手役のキャスターが彼女の本名を放送中に使ったことに激怒し、"Who the f*** told you my real name???" と言ってしまいます。
その後、息苦しそうに口をパクパクさせながら、
"Did I just.... the air?"
と言うのです。

さて、この欠けている台詞を補うとすれば、多分
"Did I just say the F word on the air?"
になるのかと思うのですが、字幕は
「すみません  呼吸が」
になっていました。

もし呼吸する空気が問題となっていれば、"the" は不要で、"I need air," のような台詞になるでしょう。ここであえて "the air" と言っていたことより、彼女が放送媒体としての "air" を指していたことは明らかだったと思います。

オリジナルの台詞を全く聞き取れていなければ違和感を感じないのかもしれませんが、話の前後のつながりを全く無視しているとしか思えません。
放送禁止用語を使ったことが明らかだったのですから、素直に
「私今...放送中に...」
にしてしまったほうがはるかに良かったと思います。

さて、番組そのものの感想ですが、『アリー』以上にドタバタ喜劇的(slapstick)な要素が多くて、funny ではあるが、interesting ではないな、というのが正直な感想です。
特に台詞が気が利いているわけでもないので、あまり教材として勧める気にもなりません。

でも、字幕の間違い探しをするためには格好の材料かも...

あと、もし巨乳の金髪美人が好みなら必見かもしれません (^^)
posted by EnglishMaster at 17:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月01日

Computers and Men

せっかく質問がありましたので、ジョークの全体を紹介しましょう。

なお、"commit to one" のところですが、結婚とは限りません。今どき結婚しないけれど、お互いを「パートナー」と呼び、長く付き合う人もいますよね?そういう「簡単には抜け出すことのできない関係」を想像していただければ良いと思います。

分かりにくいだろうな、と思うところは解説をつけました。

Are Computers Male or Female?
(コンピュータは男性か女性か)

In French, unlike English, all nouns are either masculine or feminine. For fun, a teacher once divided her French class into two groups, with men in one group and women in the other, and asked each group to decide whether the French word for computer should be masculine ("le computer"), or feminine ("la computer").

The men's group decided that computers should definitely be of the feminine gender ("la computer"), because:

男性のグループは、コンピュータは絶対女性(la computer)に違いない、と断言した。なぜなら

1). No one but their creator understands their internal logic.

その内部のからくりは創造主にしか分からない。
(つまり、女性の考え方は神のみぞ理解できる)

2). The native language they use to communicate with other computers is incomprehensible to everyone else.

お互いのコミュニケーションに用いている母国語は、外部のものには意味不明である。
(女性同士のおしゃべりは、男性には全く理解できない)

3). Even the smallest mistakes are stored in long-term memory for possible later retrieve and review.

(自分が犯した)細かい間違いまでもが長期メモリーに保存され、いつでもまた引っ張り出されて、指摘される。

4). As soon as you make a commitment to one, you find yourself spending half your pay check on accessories for it.

一つに決めた途端、そのコンピュータのための周辺機器に給料の半分を使い果たすことになってしまう。
(給料の半分が女性へのプレゼントで消えてしまう)

The women's group, however, concluded that computers should be masculine ("le computer"), because:

しかしながら女性のグループは、コンピュータは絶対男性(le computer)に違いない、と断言した。なぜなら

1). In order to get their attention, you have to turn them on.

注意を喚起するためには、まず電源を入れなければならない。
(男性の注意を喚起するためには、まず性的に興奮させなければならない)

2). They have a lot of data but they are still clueless.

たくさんのデータがあっても、まるで状況が分かっちゃいない。

3). They are supposed to help you solve problems, but half the time they ARE the problem.

問題を解決するためにそこにあるはずなのに、多くの場合その存在自体が問題を生み出す。

4). As soon as you commit to one, you realize that if you'd waited a little longer, you could have gotten a better model.

一つに決めた途端、もう少し我慢して待っていればもっと良いモデルが手に入ったであろうことに気付く。


なお、「女性の視点」には、上級バージョンもあります。
とりあえず解説は省いておきますが、「ここまで分かったけど、あと一歩が分からない!」というリクエストには応じます。

Top 10 Reasons Computers Must Be Male

10. They have a lot of data but are still clueless.

9. A better model is always just around the corner.

8. They look nice and shiny until you bring them home.

7. It is always necessary to have a backup.

6. They`ll do whatever you say if you push the right buttons.

5. The best part of having either one is the games you can play.

4. In order to get their attention, you have to turn them on.

3. The lights are on but nobody`s home.

2. Big power surges knock them out for the night.

1. Size does matter.
posted by EnglishMaster at 18:03| Comment(1) | TrackBack(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする