2005年11月20日

Of veal and venison

昨日のレッスンで、好きなレストランについて語る、という項目がありました。

麻布にある Antonio's が好きだと答えた生徒さんに、では好きな一品は?と聞いてみると彼は
"Is 「カツレツ」 Japanese?"
と質問してきました。

"No, no, there are cutlets in English too. But the pronunciation is slightly different."
と教えてあげたところ、かれはミラノ風カツレツが好物だ、と付け加えてくれました。

ミラノ風(Milanese)なら子牛肉(veal)のカツレツだろう、と思い、ちょっと意地悪な質問だと思いながらも "What kind of meat?" と聞いてみました。

最初は "pork" という答えが返ってきたのですが、若い牛の肉ではなかった?と念を押すと、子牛の肉であったことを思い出したみたいです。

そこで、成牛の肉は "beef" だが、子牛の肉は "veal" になります、と指摘しておきました。

ちなみに生きている(食材ではない)状態では牡牛を bull、雌牛を cow、子牛を calf  と言います。
なぜ生きている状態と食べ物の状態では名称が違うのかというと、これには興味深い話があります。

1066年にフランス人であるウィリアム征服王(William the Conqueror)がイギリスに上陸し、王位に就いた後、イギリスの上流階級の人はみなフランス語を日常的に使うようになりました。しかし、家畜の世話をする人々は依然として英語を使い続けました。
結果として、食べる側の人は「肉」をフランス名で呼び、世話をする人は「動物」を英語名で呼び、機能によって分化してしまったのです。

実際、フランス語においては牛は boeuf、豚は porc、子牛は veau になっており、「家畜」状態と「食肉」状態において言葉の使い分けはなされていません。
(今度フレンチレストランに行ったとき、是非確認してみてください)


さて、なぜこれをわざわざ生徒に紹介しようと思ったかというと、2年ほど前の「事件」を思い出したからです。

当時使用していた中級レベルのテキストに掲載されていた会話で、子牛の肉を使った料理を注文するという場面がありました。
あるとき、教室に入って「前回までの範囲について何か質問はありませんか」と聞いたところ、生徒さんに "veal" は何ですか?と尋ねられました。
「子牛の肉だけど、前回のレッスンでやらなかったの?」と聞き返すと、なんと「先週の先生は鹿肉だと言っていたのですが、辞書では子牛の肉となっていたので混乱しました」と言われてしまいました。

そのグループの進捗状況が記載されたファイルを見ると、その前の週を担当したのがイギリス人のC先生。今はお国に帰ってしまいましたが、お調子者で生徒の人望も高く、今も連絡を取っているかなり仲が良かった人です。
まさか、と思いながら「間違いなく鹿肉、と言ったの?」と聞くと、「"Bambi" と言っていましたから...」
とのこと。
なかなか的を得た上手い説明だな、と内心は感心しつつも「いや、辞書を信頼して大丈夫ですよ。彼はきっと勘違いしてしまったのでしょう」と片付けたのですが、もちろん休み時間になったとたん、彼を捕まえて「先週生徒さんに veal が鹿の肉だと教えたの?」と問い詰めたのは言うまでもありません。

「ああ、そうだよ。だって鹿肉だろう?」との答えにしばし絶句。
「いや、鹿肉は "venison" だよ。食べたことは無いけど賭けても良い」と言いました。
「じゃあ、小鹿の肉だ」
「...」

たまりかねた私は本棚に常備してあった辞書で veal を引き、彼に渡して「ほら、子牛の肉でしょ?」と迫りました。
すると彼は途端におとなしくなって「ああ、悪かった。俺は本当に鹿肉だと勘違いしていたんだよ」と一旦は謝ったのですが、私がまゆを上げたのを見て「だって仕方がないだろう。俺はそんな高級な肉を食べたことがないんだから」といかにも彼らしく開き直りました。
これには思わず噴出してしまいましたが。

でも、彼は偉いことにすぐに教室に行き、自分から生徒さんに「先週は間違ったことを教えてごめん。俺は本当に勘違いしていたんだよ」と謝ったのです。

それ以降、メニューに veal という文字を見るだけでその先生の顔を連想してしまうようになりました。

さて、すごいな、と今でもしばしば思うのは、このように辞書に書いてあることとまるっきり違ったことを教えても生徒さんは先生の言うことを信頼してしまうことです。特に外見的に「いかにも外国人」という感じの先生であれば「ネイティブ・スピーカーの言うことは間違いない」という神話のもと、何を教えても素直に鵜呑みにされてしまう、と言っても過言ではありません。

私は外見が日本人である上、大抵は生徒に日本人であることをばらしているため、辞書を覆すような信用を得られるわけではありませんが、それでも間違ったことは教えないように日々気を付ける毎日です。
posted by EnglishMaster at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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