もちろん、丹念なリサーチに基づいた、現実(もしくは史実)に忠実 (faithful) であるといえるものもあります。
例えばJames Clavell
最近の本では Arthur Golden 著の "Memoirs of a Geisha"
ちなみにこれは翻訳版(邦題 『さゆり』
しかし、残り多数の作品(特に大衆小説)においては、未だに日本を「キモノとゲイシャの国」と勘違いしているとしか思えません。
特に酷いのは Tom Clancy の "Debt of Honor"
残念ながらDan Brown(『ダ・ヴィンチ・コード』の著者)による"Digital Fortress"
この小説は日本を舞台にしているわけではありませんが、登場人物の二人が日本人であるという設定のため、日本に関する話題がいくつか出てきます。が、一体どこでどうやってリサーチしたのだろう、と首を傾げてしまいます。
まず、日本人の登場人物の名前から。
一人は Ensei Tankado(厭世???)、もう一人を Tokugen Numataka(沼高 徳元?)と言います。
Ensei さんは敬虔な仏教徒であるという設定からこういう名前にしたのかもしれませんが、お坊さんではありませんし、なんとなく可笑しいですよね。「タンカド」に至ってはどのような漢字を当てはめれば良いのかさえ分かりません。
Tokugen さんは戦国時代の武将ならあり得る名前かもしれませんが、現代のハイテク企業 (Numatech) の社長としてはちょっと、という感じです。
さらに Tokugen さんの渾名は "akuta-same"。これは恐ろしいサメの一種ということらしいのですが、そんな種類のサメは聞いたことがありません。
そして Tokugen さんが一番気にしているのが "menboko"(面目) 。ただし、小説の最後の方では "menboku" に綴りが訂正されていました。
「冥利」は正しく "myouri" になっていました。
また、気になるのは Ensei さんの出身大学。一応同志社大学ということになっているのですが、小説の中の読者は間違いなく同志社大学が東京の大学であると思い込んでしまうでしょう。(京都の大学なのに)
最後に、Tokugen さんが自分の幸運をもたらしてくれた、と喜ぶのが "shichigosan"。原文では "the seven dieties of good luck" となっているため、「七福神」と言いたいのだろう、という点は理解できるのですが、一体なぜ「七福神」が「七五三」になってしまうのでしょう。
このような間違いがある場合、誰が原稿をチェックしたのかが非常に気になります。大学の日本文学、もしくは日本経済等の教授でしょうか。日系二世の方でしょうか。日本に長く住んだ外国人でしょうか。それともアメリカに移住して大分時間が経ち、日本語と日本文化を忘れかけている日本人でしょうか。
細かい、と思われるかもしれませんが、"The devil is in the details," すなわち、細部での間違いでも全体を損ねてしまいます。
作者の方も、編集者の方も、他国の文化を紹介するときにはもっと気をつけていただきたい、と思う今日この頃です。


