2007年04月27日

目的と手段

ここのところ、企業派遣レッスンでの雑談が大幅に増えています。

今日に至っては、教えている片方の生徒さんから「T先生から、ペースが落ちているから、もっとペースアップした方が良いと指摘された」と言われてしまいました。(この方のレッスンは別な教師Tと交代で教えているのです)

でも私が「あなたはどうなの?どうしてもこの本を終わらせたいと考えているの?」と聞くと、彼女は「いいえ。教科書は一般的な話題にしか触れていないけど、仕事ではもっと専門的な語彙が求められるので、こうやって仕事の話をしている方が役に立っているような気がします」と答えたのです。
「じゃあ、Tにもペースダウンを気にしていない、と伝えておいてね」ということになりました。

T先生の気持ちも良く分かります。一応目安として40レッスンで1レベル終了を目標として掲げており、生徒さんの方でもそれを期待しているのですから。
事実、この前のクールで同じくTと一緒に担当していた生徒さんは、進度が落ちるとかなり焦っていました。

でも、テキストは手段に過ぎないのです。テキストを終えることにばかり集中しても、大して意味がない気がします。それよりも、今までレッスンでやった内容がちゃんと定着しているか、そしてそれを使いまわせるか、の方がはるかに重要です。
実際、とにかくこのレベルを終わらせたい!と訴える人ほど、前にやった知識があやふやだったりします。

そのような意味においては、焦らない彼女は非常に賢いといえます。事実、彼女のリスニング力、理解力は、いつの間にか現時点のレベル(レベル2)をはるかに超えるものになっています。なんせ、通常はレベル7の人に教える、日本の金融界をネタにしたジョークを聞いて一発で理解し、膝を叩いて喜んでいたくらいですから。(彼女自身、金融機関に勤めている、というのもありますが)

なぜ雑談も重要か、と言うと、言語はコミュニケーションの手段に過ぎないからです。

これぞ、学校英語と英会話の最大の違いかもしれません。

学校英語、特に文法を重視するような授業では、言語構造そのものを理解することに重きがおかれ、手段がいわば目的化してしまっています。
手段を手段として使う、つまり英語「を」勉強するのではなく、英語「で」勉強する、という意識が足りないため、多くの人は学校で一生懸命勉強した英語を、実際に使うのに苦労するのだと思います。

逆に雑談こそ、この言語の「手段性」を最大限に活かせるものなのです。

仕事の愚痴でも、皐月賞であてが外れて悔しい思いをした話でも、どこどこのイタリアンレストランが美味しい、という情報でも、ささやかながら英語「で」学ぶ・教える、ということにつながるのです。

もちろん、雑談だけでは意味がありません。きちんとしたカリキュラムという骨組みがあって、「このレベルならこれくらいの文法や語彙を使いこなせなければならない」という明確な基準がどこかにあり、それに合わせて軌道修正することによって、最大限効果が発揮されるのです。

なので、なるべく今までやった内容を活用できるように工夫はしているつもりですし、すでに練習したことのある構文で間違えたときには、雑談であろうともすぐに訂正します。

最近の例で感心したのは、とある競馬好きの生徒さんの話です。彼は皐月賞で負けてしまった話をした後、「例年は6万くらいを競馬で摩ってしまうのですが、今年はすでに4万ほど損しています」という話をちゃんと現在形と現在完了形(2ヶ月ほど前にレッスンでやった構文)を上手に使い分けて説明した上、私が「ええ?どうして?」と聞き返すと、通帳を取り出して、「ほら、ここに引き出しがあって、預け入れがあって、引き出しがあって、預け入れが...ない」とこれも2ヶ月ほど前のレッスンで学習した語彙を使いこなしながら解説したのです。
これには正直、参ってしまいました。

(ちなみに、この方はいつも仕事で疲れているからか、雑談がメインになってしまい、最初に紹介した女性の生徒さんよりもテキストの進み具合が遅いくらいなのですが、それでも確実に上達している気がします)


英語の勉強というと、学校英語の影響からか、どうしても知識を増やすことそのものが一種の目的になってしまっている方が多いような気がします。
だからこそ、多くの英会話スクールで「生きた英語を」というときに、初級レベルにおいてもネイティブが使うようなイディオムやスラングの習得に重点をおくようなカリキュラム(幸い、私が教えているスクールではそのような的外れなことは要求されない)が構成されてしまうのでしょう。

しかし、本当の「生きた英語」というものは、そんなものではありません。ただ単に英語が完全に手段化され、それほど深く考えずに身近な話題についてスムーズに情報交換ができる状態を指すのだと思います。

中々英語が上達しない、と悩んでいる皆さん。英語を「手段化」できていますか?
posted by EnglishMaster at 00:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
英語はあくまでコミュニケーション手段である。これはその通りですよね。ただ、基礎のレベルにいる生徒さんに教えている時には文法の基礎を教えながら、雑談で出てきた話題を英語ではこういう文章になると説明しますが、その文章の構文をいちいち説明していたら時間があまりにも足りなくなるので、時間配分には多少苦労することもありますが。
先生は経験で得たことをしっかりとそれ以降のレッスンで活かされていますね。頭の良い方であるとつくづく感じます。
Posted by ニコ at 2007年05月01日 23:07
雑談の時は、構文の説明を一切していません。
説明をするのは、テキストではじめて出てきたときだけです。

実際に訂正するのは、今までやった構文を使ったときのみ。すでにやった内容なので、ちょっとヒントを出しただけで、生徒さんの方で勝手に訂正してくれます。
一々理屈を考えずに、自己訂正ができるようになっていれば(常にこの状態を目指しているのですが)、本物の会話力がついていると言えるでしょう。

言い換えれば、"He don't" と言って訂正された場合、「ああ、これは3人称単数形だから doesn't にしなければならないんだな」と考えているのであれば、まだまだ英語をスムーズに使うどころではないでしょう。「ああ、He だから doesn't だった」よりも深く考えてはいけないのです。ここで仮に「3人称単数形」なんていう日本語が入ってしまったら、もうそこで英語の回路が絶たれてしまいます。

だから、新しい表現を紹介する場合でも、そもそも解説が必要な構文は使わないことにしています。例えば、この記事の冒頭で紹介した生徒さんはレベル2なので、現在完了形や受動態は封印してあります。
身の丈に合った表現に限定しているからこそ、一々文法を考えずに話すネイティブの英語に近づけるのだと思います。

ただ、ニコさんが教えられているスクールの生徒さんは、構文を解説してもらうのが当たり前になってしまっているのかもしれませんね。
そのような方には、「間違えた理由は自分で分かっているはずだ」という訂正の仕方は非情に映るかもしれません。
Posted by EnglishMaster at 2007年05月02日 00:09
先生ご丁寧にお返事を頂きありがとうございます。まあ、僕の教えるパートはあくまで日本人講師のパートなので、説明できる範囲でこれは重要だなと思う所のみを説明しています。

生徒さんのレベルは同じレッスン内でも違うので、二人いれば一人はよく文法を理解していて、もう一人はあまり理解できていない(文法に限らず語彙や表現に関してもですが)ような状況で今でもどうバランスをとって説明するか等、難しいと感じることあります。

僕は以前のスクールの時とは違い、小さなスクールですので、営業活動も含め何でもしています。こんな経験も初めてですが、意外と楽しめるように最近なってきています。
Posted by ニコ at 2007年05月02日 23:31
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