2007年02月23日

音楽と語学

語学を学ぶのと、音楽を学ぶのとでは、非常に共通点が多いような気がします。

両方とも耳が重要であり、音楽が得意な人は語学も得意であるという事実もありますが、それだけではありません。
教え方の見本として、私が一番参考にしているのは、子どもの頃習ったバイオリンの先生だからです。

その先生は正確には二人目の先生でした。

一人目の先生は、6ヶ月しか習わなかったのですが、最初の2、3ヶ月はろくに楽器にも触らせてくれなかった挙句、いざ弾き始めると、見本の演奏をするときにはあくまでも彼女の水準で演奏していたのです。つまり、初心者の私にはまだ使えるはずのない、ビブラートなども使っていたのです。
私は、ああ、あのように弾くためにはものすごく時間がかかるんだなあ、と考えていたのを覚えています。

それに引き換え、二人目の先生は全く対照的でした。
なぜか地元の音楽学校にオイストラフの弟子でモスクワ音楽院で博士号を取ったというすごい先生がいた、という幸運に恵まれてのことだったのですが、彼女は常に生徒のレベルに合わせる、という今考えればものすごい技をやってのけたのです。

具体的には、というと、彼女は見本の演奏をするときに、必ず生徒の楽器を使ったのです。私が最初に弾いていた楽器などは、機械で作られた安物だったのですが、それでも彼女の手にかかるとちゃんと良い音が出ました。それに加え、彼女は、その時点でその生徒が使えるテクニックしか使わなかったのです。

つまり、安物のバイオリンであって、ビブラートなんぞ使えなくても、こんなに素晴らしい演奏ができるのだ、ということを身をもって示したのです。急に目標が身近になったのです。だから私は焦って「早くビブラートができるようになりたい」という考えを捨てました。まずは、持ち合わせている限られた技術だけで、どれだけ良い演奏をできるのか、ということに集中できましたね。
(そして、ちゃんと適当な時期になってからビブラートを教わったため、それを自在にコントロールできるようになったのです。その頃になって、ひょっとしたら最初の先生はビブラートなしでの演奏などできなかったのかもしれない、と気付きました)


もちろんその先生の足元にも及びませんが、私もできるだけ上手く生徒のレベルに合わせることを心がけています。

大体、どのレベルのどの章をやっているかによって、今までどのような構文を身につけてきたのかが分かりますから、例えばレベル2以下の生徒さんだったら、私の方から完了形を使ったりすることは避けます。(生徒さんがすでに知っていて、自分から使う場合には、正しく使えていないときのみ、何らかの指摘をしますが、深入りはしません)

初級レベルの生徒さんがすぐに電子辞書に手を伸ばすのを嫌がるのも、そのような理由からです。下手に背伸びをするよりも、それこそ確実に使いこなせる限られた語彙や構文だけを用いて、どこまで流暢に話せるのか、ということに集中して欲しいからです。

だから、教科書にない新しい単語を教えるときには、かなり慎重になります。昨日は、「神話」の話をするときに、あえて "myth" という言葉を使わずに "stories of the gods" と言い換えましたし、今の季節によく話題になる「花粉」でも、まず何らかの噛み砕いた表現で説明し、またはさせてから、"pollen" という言葉を教えます。
(その一方では、同じく昨日ですが、レベル2の生徒さんが、報告書をいちいち印刷して、担当者のはんこをもらわなければならくて無駄が多い、という会社の現状を上手く説明したときに、「そういうのは bureaucratic(官僚的)と言うのだよ」と教えてあげましたが)

最近書いた記事で、生徒のためにいたずらに自分の英語のレベルを下げることはない、と書いたため、誤解の無いように付け足しますが、妥協しないのはスピードや流暢性、発音などです。あと、ほとんど必ずフル・センテンスを使うことを要求する点でしょうか。特に何かを何度か繰り返すときなどは、容赦なく私が本来話すスピード(ちなみにこれは同僚からも速い、といわれます)に戻してしまいます。今までやった内容、という限られた範囲においてでも、テレビや映画で同じ表現を耳にしたときには聞き取れるようになって欲しいからです。

正直、難しいですね。
言葉を選ぶよりもまず非常にゆっくりと話して見るほうが楽ですし、とある構文を使いたくない場合には他の構文を駆使してフル・センテンスを使うよりも、ブロークンに話した方がはるかに楽です。
事実、あまり経験がない先生などにはこのような傾向が見られます。でも、これでは生徒さんに変な妥協と諦めをもたらしてしまうに過ぎません。本物の実力は付かないのです。

ツールは限定しても、その一つ一つを確実に使いこなせていくようにする。つまり、最初の例にたとえるなら、たとえ安物のバイオリンしかなくても、もっと高いバイオリンがなければ上手く弾けない、などとは言わずに、まずはそれで可能な限り最高の演奏を目指す。
これこそ、応用力を養い、どのような場面でも通用する語学力を身につける鍵だと思います。

posted by EnglishMaster at 23:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほど。素晴らしいバイオリンの先生ですね。その生徒のレベルに合わせ、それまでに身につけた知識の中で可能な限り良い英語を話す練習とは相当意識を持っていないと教える側にとって難しいかなと思います。現在完了形等はつい習っていないレベルでも使いたくなってしまいます。
先生のブログを読ませていただくと本当に反省させられる点が多いです。
完全な文章を作るように徹底させること、とても大事ですね。とても為になることばかりです。
Posted by ニコ at 2007年02月25日 01:06
ほとんどの場合、教師側は、どれだけ生徒側のレベルや意識に近づけるかが試されていると考えた方が、教師の技量向上にも、人間関係にもいいでしょうね。しかし、昔の日本の職人の場合のように、学び方を自分で見つけさせるような教育も大事ともいえますね。最もよい親方は、どこで何をさせるかについての、直感的センスがあるから、突き詰めれば同じことでしょうかね。
Posted by philjoy at 2007年04月28日 01:07
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