2006年12月22日

ローマは一日にして成らず

昨日、数週間前から通い始めたシリア人の女性を初めて教えました。

まだ学生の彼女は噂通りの美人で、しかも積極的。
私が自己紹介をすると、すかさず "Where are you from?" と聞いてきました。(日本人の生徒さんでは、この質問をしない人が多い)"I'm Japanese. Where are you from?" と聞き返すと、一瞬驚いた顔をしながらも"I'm from Syria." と笑顔で答えました。ついでに、と思い、私はもう1人の生徒さんに "And how about you?" と尋ね、"Of course I'm from Japan." という答えを得たのに対して「いや、一応確認をしておかないとね」と言うと、二人とも楽しそうに笑っていました。そのもう1人の生徒さんはこれもまた大学生の男性で、結構彼女に惚れ込んでいるみたいでしたね。彼女に負けじと積極的に発言していたため、このグループは伸びるのが速いだろうな、と思いました。

さて、その彼女ですが、レッスンの終わりになっていきなり「一つ質問しても良いですか?」と言ってきました。「どうぞ」言うと、目を輝かせながら「先生のように英語を話せるには、どれくらいの時間がかかるのですか?」と聞いてきたのです。

これには度肝を抜かれてしまいました。

「私のように」と言うのは、一体どれくらいのレベルと考えているのだろうか。単に発音の問題だとも思えないし、一方でレッスンで使った語彙も構文もレベル2という彼女たちのレベルに合わせていたため、あまり実力を発揮する機会があったわけでもない。ということは、ネイティブから「英語が上手だね」と言われるレベルだろうか。
とはいえ、私が子どもの頃渡米した後、周囲の子どもに追いつくには6ヶ月かかったが、使う語彙などを考えれば大人に6ヶ月で追いつくことなど不可能に近い。生徒さんの中には10年ぐらいかけてかなりの英語力を身につけた人もいるが、彼らはあまり勉強する時間がない社会人ばかりなので、適切な例とは言えない。周りの同僚の中には、発音も含め、日本人も顔負けなくらい日本語が上手な人もいるが、彼らは何年かかったのだろう。最低3、4年はかかっているはずだ。

のような内容を0.5秒ほどで考えた末、
"It's a difficult question. I started studying as a very young child, and it's a lot easier when you are young. If you're an adult, it depends a lot on your ear. If you have a good ear, and if you work hard, maybe it will take you three years."
と自分では至極楽観的と思える答えを口にしました。

それでも彼女は "years" という言葉を聞いて、かなり落胆してしまったみたいです。

そこで、これはまずい、と考え、ホワイトボードに
"Rome was not built in a day."
と書いたのです。
そして、「この意味は分かりますか?」と聞くと、彼女のクラスメートは「大きなことを成し遂げるには時間がかかる、ということですよね」と非常に適切な解説をしてくれました。

すると、彼女は "OK. I'll try," とまた笑顔に戻ったので、内心胸を撫で下ろしながら「いつか必ずできるようになるので、頑張ってね」で無事、ポジティブな雰囲気でレッスンを終わらせることができました。

でも後になって考えてみると、今の私の英語力は始めてアメリカの土地を踏んだときからずっと続いている努力の結果である、ということに気付きました。つまり今のレベルに到達するには二十数年間かかっている、ということです。
もちろん、高校の英語の時間に暇つぶしにせっせと国連英検の勉強をした甲斐があり、大学入学時にはすでにかなりの読解力や語彙力、表現力を持ち合わせていたため、その後の進歩など微々たるものです。それでも暇さえあれば英語の本を読んだり、英語のテレビ番組を見たり、毎週TIMEを隅々まで目を通すことにより、語彙は今でも少しずつ増えていますし、今どんな表現が旬であるかも知ることができます。
また、教える立場になってからは文法書を買い込み、少しでも不安なところはちゃんと辞書を引く、というようなこともしています。

時々、同僚の中には「来る日も来る日も間違った英語を聞いていると、頭がどうにかしてきて、一体何が正しい英語なのか分からなくなってしまう」と言う人がいますが、彼らは「ネイティブ」という地位にあぐらをかいて、そういう努力を怠ってしまっているのではないでしょうか。

塩野七生さんの『ローマ人の物語』では、ローマ人はインフラの整備だけでなく、その維持・修復にも熱心だった、という話が書いてあります。そのメンテナンスができなくなったところから帝国が滅んでいった、という様子も伺えます。

つまり、ローマは一日にして成らず、ということは、いつまで経っても努力の終わりがない、という風にも解釈できるのかもしれませんね。
posted by EnglishMaster at 00:48| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
世の中には様々な分野で大活躍している人々がいます。それらの人々はその分野において、人並みはずれた努力をしてその地位を確立していることは誰しもが想像できることでしょう。そして、その努力をすることは誰しもができることではないと思います。そこまでの努力ができるのもまた大きな才能であると考えます。先生程の英語力を身につけるのは初心者レベルから英語を始める大人にはほとんど不可能に近いというのが事実だと思います。

世の中、全ての人々が同じ程度の努力ができて、人類全てが有能な人物だとしたら、どういう状況になるのだろうとふと考えます。
僕の考えでは、世の中は一部の絶対的な優秀な人物が仕切り、あとはそれらに仕える立場で、全ての人々が自分が天下をとってやると目論んでいたら、組織の機能が成り立たないのだと思います。
だから、一部の人間にのみ、そういった努力ができる才能を与えられているのだと考えます。僕の意見に反対の人々が多々いるのは理解しています。ただ、考えてみてください。世の中のビジネスとは、人々が趣味として夢中になるものが存在しているからうまくお金が流通し、一部の人物が経済的に大成功を収められるようにできています。例えば、スポーツです。スポーツ選手として成功を収めている人々、また、それらに関連する仕事で成功を収めている人々、これらの人々はそういったスポーツを観戦することを生きがいのようにして暮らしている多くの一般人によって支えられています。そして、それらの一般人の多くは、勉強や読書、仕事等にそこまで心血を注ぎ込むような人ではないのです。人類全てが勉学に勤しむことに多くの時間を割くことになれば、スポーツ観戦に夢中になる人々は少なくなり、スポーツ産業が栄えることはありえないのです。これは一例ですが、僕が言いたいことは世の中の大半の人々はそこそこに努力をして、あとはある程度の収入で家庭を築き、仕事、家庭、趣味(多くは努力を伴わない趣味)の世界で生きていきます。これらの人々抜きに世の中の経済は絶対にまわらないでしょう。

シリア人の方はものすごい努力&才能で他の生徒さんよりも遥かに早いスピードで英語力をアップさせていくと思いますが、先生のような英語力にたどり着く可能性はほとんどないと思います。彼女がまだ子供なら話は別ですが。多くの英語を学ぶ人々は僕の考えでは、ある程度英語を使いこなせるようになれれば、それで十分であり、それを武器に仕事や趣味を謳歌できれば、言うことなしと考えていると思います。そしてそれらの考え方は間違っていないと思います。

ただ、誰しもが一方で先生程の努力ができたらなあと、思ってはいるでしょう。ただ、あれだけの読書量、Timeを読みきる等は能力的にも時間的にも(多くの人はスポーツ観戦、ジム通い、パチンコ、競馬、子育て e.t.c.,の楽しみを削れないと思います。)あとはたった一回の人生をどう過ごすかという人それぞれの価値観によって、それだけの努力をするか、断念するかに分かれると思います。
Posted by ニコ at 2006年12月23日 19:38
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