2006年11月28日

趣旨

最近、時々出没している『知恵蔵』で、面白い質問?を発見し、思わず長々と答えを書いてしまいました。

内容は、中学レベルの文法の復習で能動態(active voice)から受動態(passive voice)への文の変換と、受動態から能動態への文の変換をやっていたところ、後者の方が難しく感じられた、というものでした。質問というより感想に近く、書いた本人が果たして答えを求めていたのかどうかも分からなかったのですが、最近の私の問題意識と符合するものがあり、回答内容をこちらでも発表したくなりました。

実はこの話を読んで始めは少しびっくりしてしまいました。
あまり意味を考えずに、ただ機械的に文を変換していただけなのか、と思わせるような内容だったからです。

でも、こういう「書き換えろ」という形の問題ばかり並べた問題集というのも、結構たくさんあるみたいですね。

本当はそのように文を書き換える練習をしても、頭の体操以外の何の役にも立たないような気がします。
そこには、なぜあえて例外である受動態を使うことに意味があるのか、このシチュエーションでははたして能動態と受動態のどっちが良いのか、という問題意識がすっかり欠けているからです。この問題意識なくして、これらの二つを適切に使い分けることはできません。

実はネイティブ向きのライティングの教科書には、(少なくとも私が見た限りでは)いずれも「なるべく能動態を使え」と書いてあります。受動態を使うのは、本当に受動態を使うことに意味がある場合に限定すべきだ、と。
もっともです。能動態の文の方がはるかに分かりやすいことが多いからです。

では、どのような場合に「あえて」「例外である」受動態を使う意味があるのでしょうか。

英語は、以前にも書いたとおり、SとVの言語です。
ということは、常に「誰が」「何をしたのか」ということをはっきりさせなければなりません。
しかし、時として「誰が」やったのかが重要でなかったり、不明瞭だったり、「誰が」やったのかを前面に出したくないときがあります。

例えば、死刑が執行された場合など、行為の主体が死刑執行人なのか、法務大臣なのか、制度全体なのかが良く分からなかったりします。だから「彼女は処刑された」(She was executed.)にした方が良いのです。
オリンピックの開催も似ています。一応はIOC主導ということなのでしょうが、実際の開催時期に近づくとIOCよりも開催都市が前面に出て活躍していて、なんとなく分かりにくいです。ですから "Beijing will host the Olympics" とする一方で、"The Olympics will be held in Beijing." と一般的にされるのです。

また、会社がボーナスをカットした場合や、工場を閉鎖した場合を考えてください。「取締役会がボーナスをカットした」(The Board of Directors cut bonuses by 10% this year,)よりも「ボーナスがカットされた」(Bonuses were cut 10% this year,)にした方がなんとなく聞こえが良いですよね?少なくとも、前者の文に比べて、取締役会に対する非難の声が弱まるような気がします。

逆に、日本語では普通受身的な表現がなされる場面であっても、行為者が明らかな場合には英語では能動態を使うのが一般的だったりします。
門限を破った日本の高校生が「ヤバイ。親に殺される」と言うのに対し、アメリカ人の高校生であればストレートに "My parents are going to kill me," ですからね。(I am going to be killed by my parentsにする必然性は全く無いのです)

以上のように、もし本当に受動態を使うのに意味があるような文章であれば、能動態に変換したときに何を主語にすれば良いのかが良く分からない、ということが多いでしょう。
簡単に能動態に変換しなおすことができるような文であれば、はじめから受動態などにしなければ良いのですから。(もちろん例外はあります)

このように、この構文を使うことには一体どんな利点があるのだろうか、という問題意識を持って文法に取り組めば、決してつまらなくは無いはずです。

ただ文の形を変えるだけなら、簡単な構文解析機能を備えたコンピュータ・プログラムにだってできてしまいます。
でも文法は「目的」から「手段」に変わって、始めて本当に使い物になるのです。

そのためにも、「文を変換する」などの課題に直面したときには「これによって何が変わるのだろうか」とちょっと立ち止まって考えてみる余裕を持つことが大事です。一度考えておけば、いざ自分で作文しなければならない、というときに、どの構文が一番適切に自分の気持ちを伝えてくれるかの見分けがつくからです。

本当はこのような考え方を中学・高校の段階からできるようになると良いのですが、どちらかというとあまり文の適性も考えずに「変換しろ」とする問題集が多いのでしょうね。
posted by EnglishMaster at 22:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 文法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
能動態と受動態に関しては、相当英語に慣れている人間でないとその使い分け方がわかるのには時間がかかると思います。だから、先生のおっしゃる通り、通常は能動態で話すのが良いと思います。
とにかく徹底的に英語に触れまくることが、この要領を得る最もシンプルな取り組みであると考えます。そうすることにより、自然な表現、不自然な表現の使い分けがだんだんわかってくるのかなと考えます。あとは、英会話スクールに通っている方はレッスン時に講師に指摘されるでしょうし、お友達に英語を話す外国の方がいるのなら、会話中に指摘してもらうと、指摘された部分は元々知っていた部分以上に自分のものになっていうくケースが多々あります。
とても、良い点に先生は気付かれますね。恐れ入ります。
Posted by ニコ at 2006年11月30日 23:34
先ほどコメント書いたのですが、何故か投稿ができません。
Posted by ニコ at 2006年11月30日 23:42
はじめまして、こんにちは。
学習塾で英語講師をしている者です。
確かに塾で使っている教材って機械的に文の形を変えたりするだけで、変えることによって意味合いがどう変わるのかみたいな、本当はより実際的な側面が欠けているような気がします。
多分、出題者の思考が数学の問題を作るのと同じなんでしょうね。
もっとも僕自身も能動態、受動態の違いに関しては今まであまり意識したことがなくて、だいたい日本語の場合と同じように使っていたような気がします。
とても参考になりました。
Posted by Sam at 2006年12月01日 01:36
ニコさん、Samさん、コメントありがとうございます。

Samさんの「数学の問題を作るのと同じ」という表現は言い得て妙だと思いました。
教える側でも、数学の公式の使い方を教える気分であることが多いのでしょうね。

私は数学が苦手だったのですが、それは「この場ではこの解き方」という機械的な感じでしか勉強できなかったからかもしれません。
となれば、このような方法で英語を勉強した人がいつまでも苦手意識を持っているのも頷けます。

ただ本当に数学ができる人は、言葉を使うように数字を操り、一つ一つの公式にもきちんと意味を見出して原理を理解し、応用できるのでしょうね。

そういった、本質に触れなければ使いこなせない、という側面においては、数学も英語も大して変わらないのかもしれません。
Posted by EnglishMaster at 2006年12月10日 21:27
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