電子辞書の広告でも「ネイティブの発音が聞ける!」と宣伝してありますし、「ネイティブの発音を身につけよう!」という宣伝文句の付いた発音教材や専門のスクールもあるみたいです。
これにはちょっと疑問を感じます。
そもそも、一口に「ネイティブの発音」と言っても、色々バリエーションがあります。
とりあえずメジャーなところを挙げるとしてもアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドは基本的に全部違いますし、例えばアメリカの中でも北東部と中西部、南部、南西部、ハワイではそれぞれ発音に特徴があります。
アメリカ英語の中では一応中西部の訛が標準とされていますが、(だから全国ネットワークのトップキャスターは中西部出身者が多いです)それでも年齢や学歴など色々な要素を加味すると、個人差はかなりあるような気がします。
私の英語は北米系の人であれば「君の英語は訛がなくてきれいだね」と褒められますが、イギリス人やNZ人の友人には「君の英語って本当にアメリカンだよね」と笑われます。
そう言われると、なんとなく複雑な気持ちになりますね。
それに、今では英語は世界中の人が使う言語になっています。
中国人も、ブラジル人も、インド人も、チェコ人も、フランス人も、日本でビジネスをしようというときには英語を使うことが多いですよね。
中国人は中国訛の英語を、インド人はインド訛の英語を、フランス人はフランス訛の英語を堂々と使っているのに、どうして日本人だけ「ジャパニーズ・イングリッシュではダメだ」と考えるのでしょう。
(日本人が全員こう考えている、と思っているわけではありません。
ただ、少しぐらい個性があっても良いのではないか、と考える人が少ないような気がするだけです。
そして実際に英語を使って活躍されている方、例えばキヤノンの御手洗社長や、宮澤喜一元首相などは、堂々とジャパニーズ訛が残っている英語を使っていたような気がします)
もちろん、訛がひどくて通じなければ話になりません。
しかし、発音はあくまでも理解し、理解してもらうための「手段」に過ぎません。
要は通じるためのポイントをおさえれば良いのです。
「手段」を目的化するのでは方向性として間違っています。
ちなみに、この方向性を間違えた結果、一生懸命外国人の「真似」ばかりをして、結果的にネイティブ・スピーカーから「すごく聞き取りにくい」と言われる訛を身につけてしまった人を何人も見ています。
これでは本末転倒ですよね。
話を元に戻しましょう。
「手段」であることに注目するのはどういうことかというと、単に誰かの発音を真似するよりも、ポイントをおさえて自分なりにアレンジ
することです。
私が"L"と"R"と「ラリルレロ」Part IIで、「発音し分けることさえできれば良い」と強調していたのにはこのような考えが背景にあります。そこから先、どこまで極めるかはあくまでも「おまけ」(icing on the cake)に過ぎないのです。
そして、実はこのようにした方が色々な訛の人にも対応できるし、自分でも色々な国の人に理解していただけると思うのです。
万人に聞き取ってもらえて、万人の言葉を理解できる耳を持つ。
これぞ「良い発音」であると思います。
そして「良い発音」はネイティブの特権ではありません。
逆にネイティブであっても訛の強い人であれば他のネイティブから「何を言おうとしているのかが分からない」と言われてしまいます。
これは決して「良い発音」であるとは言えません。
面白いことに、私が教えているスクールで用いているテキストに付属しているCDでは、場面に応じてアメリカ、イギリス、オーストラリアなど「ネイティブ系」の発音が一通り揃っているのみならず、さらに「ノン・ネイティブ系」(アジア系や英語圏以外のヨーロッパ系)の発音の方も登場しています。
共通点は、誰もが聞き取りやすい、明瞭な発音をしていることです。
そして、このような多様性を重視したCDで真剣にシャドーウィングして勉強している方は、アメリカ英語しかない画一的な発音のCDを聞いて勉強している方よりもはるかに自分の個性を活かした、「本物」の英語を身に付けられているような気がします。
具体的なポイントについてはまた後日、解説して行きたいと考えておりますが、みなさん、そろそろ「ネイティブ信仰」は捨てても良いと思いません?



日本語に方言があるように、アメリカの英語も地域によって違うと聞いたことがあります。でも、北部と南部の人でもちゃんとコミュニケートできるのだから、少々日本語訛りでも自分の言いたいことがちゃんと相手に伝わればいいと、私は考えます。
日本人にとって英語は外国語。難しい、発音がしにくいのは当たり前、RとL、Sとthがちょっとぐらい違っていたって良いじゃないと思います。
ホームページアドレスを書き込むとリンクされるのですね、知らなくてすみませんでした。