2007年02月27日

リスニングと文法

週末に強烈な頭痛で倒れ、せっかくの休暇が台無しになってしまった上、未だにどことなく本調子に戻れていない感じがするので軽めの話題です。

さて、リスニングと文法と言うと、一見あまり関係ないように思えますが、文法の知識がリスニング能力の限界を画する格好の例を最近目にしたため、ここで紹介します。

『知恵蔵』上で、ある "YouTube" 上のビデオ・クリップで何を言っているのかを問う質問が出ていました。

どのようなビデオ・クリップかというと、かの有名な MasterCard の「プライスレス」というキャッチフレーズのCMのパロディで、中々気の利いた内容のものでした。

(興味がある方は、YouTube上で "MasterCard +parody" で検索してみてください。ご覧になると分かると思いますが、若干公序良俗に反する面があるため、ここであえてリンクを張るのは控えておきます)

さて、肝心の質問に対する回答ですが、結構世の中にはリスニングに自信がある人が多いらしく、私が見た時点ですでに4人ほどの方が「こう言っている」ということで、台詞を書き出していました。
しかし、どの回答も文法的に微妙におかしいような気がしたのです。

そして、実際にそのビデオ・クリップを自分でも見たとき、なぜそのようなことが起きてしまったのかが良く分かりました。

問題となっている台詞のうちの一文が

If need be, he'll come down himself and do it.

というものだったのですが、この文の冒頭は、条件法の中で仮定法を使う、というものすごく高度な文法を使っていたのです。

そして、この "If need be..." という構文になじみが無かった方は、せっかくキーワードを聞き取っていながらも、正確に文章を再現することができず、余計な言葉をくっつけてしまったり、他の全く見当違いの言葉を入れてしまったりしていました。

もう一つこの台詞の落とし穴は、再帰代名詞を用いた強調構文 "he'll come down himself" だったかもしれません。やっぱり再帰代名詞の正確な使い方が分かっていないと、"himself" は聞き取れていながらも、若干違う位置にあると勘違いしてしまった方がいらっしゃったみたいです。

でも、よく考えてみれば、シャドーイングもディクテーションも構文をしっかり理解してこそ完璧にできるものであるため、これは全然不思議なことではないかもしれませんね。

やっぱりどのレベルにおいてでも、決して文法を侮ってはいけない、ということでしょうか。
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2007年02月23日

音楽と語学

語学を学ぶのと、音楽を学ぶのとでは、非常に共通点が多いような気がします。

両方とも耳が重要であり、音楽が得意な人は語学も得意であるという事実もありますが、それだけではありません。
教え方の見本として、私が一番参考にしているのは、子どもの頃習ったバイオリンの先生だからです。

その先生は正確には二人目の先生でした。

一人目の先生は、6ヶ月しか習わなかったのですが、最初の2、3ヶ月はろくに楽器にも触らせてくれなかった挙句、いざ弾き始めると、見本の演奏をするときにはあくまでも彼女の水準で演奏していたのです。つまり、初心者の私にはまだ使えるはずのない、ビブラートなども使っていたのです。
私は、ああ、あのように弾くためにはものすごく時間がかかるんだなあ、と考えていたのを覚えています。

それに引き換え、二人目の先生は全く対照的でした。
なぜか地元の音楽学校にオイストラフの弟子でモスクワ音楽院で博士号を取ったというすごい先生がいた、という幸運に恵まれてのことだったのですが、彼女は常に生徒のレベルに合わせる、という今考えればものすごい技をやってのけたのです。

具体的には、というと、彼女は見本の演奏をするときに、必ず生徒の楽器を使ったのです。私が最初に弾いていた楽器などは、機械で作られた安物だったのですが、それでも彼女の手にかかるとちゃんと良い音が出ました。それに加え、彼女は、その時点でその生徒が使えるテクニックしか使わなかったのです。

つまり、安物のバイオリンであって、ビブラートなんぞ使えなくても、こんなに素晴らしい演奏ができるのだ、ということを身をもって示したのです。急に目標が身近になったのです。だから私は焦って「早くビブラートができるようになりたい」という考えを捨てました。まずは、持ち合わせている限られた技術だけで、どれだけ良い演奏をできるのか、ということに集中できましたね。
(そして、ちゃんと適当な時期になってからビブラートを教わったため、それを自在にコントロールできるようになったのです。その頃になって、ひょっとしたら最初の先生はビブラートなしでの演奏などできなかったのかもしれない、と気付きました)


もちろんその先生の足元にも及びませんが、私もできるだけ上手く生徒のレベルに合わせることを心がけています。

大体、どのレベルのどの章をやっているかによって、今までどのような構文を身につけてきたのかが分かりますから、例えばレベル2以下の生徒さんだったら、私の方から完了形を使ったりすることは避けます。(生徒さんがすでに知っていて、自分から使う場合には、正しく使えていないときのみ、何らかの指摘をしますが、深入りはしません)

初級レベルの生徒さんがすぐに電子辞書に手を伸ばすのを嫌がるのも、そのような理由からです。下手に背伸びをするよりも、それこそ確実に使いこなせる限られた語彙や構文だけを用いて、どこまで流暢に話せるのか、ということに集中して欲しいからです。

だから、教科書にない新しい単語を教えるときには、かなり慎重になります。昨日は、「神話」の話をするときに、あえて "myth" という言葉を使わずに "stories of the gods" と言い換えましたし、今の季節によく話題になる「花粉」でも、まず何らかの噛み砕いた表現で説明し、またはさせてから、"pollen" という言葉を教えます。
(その一方では、同じく昨日ですが、レベル2の生徒さんが、報告書をいちいち印刷して、担当者のはんこをもらわなければならくて無駄が多い、という会社の現状を上手く説明したときに、「そういうのは bureaucratic(官僚的)と言うのだよ」と教えてあげましたが)

最近書いた記事で、生徒のためにいたずらに自分の英語のレベルを下げることはない、と書いたため、誤解の無いように付け足しますが、妥協しないのはスピードや流暢性、発音などです。あと、ほとんど必ずフル・センテンスを使うことを要求する点でしょうか。特に何かを何度か繰り返すときなどは、容赦なく私が本来話すスピード(ちなみにこれは同僚からも速い、といわれます)に戻してしまいます。今までやった内容、という限られた範囲においてでも、テレビや映画で同じ表現を耳にしたときには聞き取れるようになって欲しいからです。

正直、難しいですね。
言葉を選ぶよりもまず非常にゆっくりと話して見るほうが楽ですし、とある構文を使いたくない場合には他の構文を駆使してフル・センテンスを使うよりも、ブロークンに話した方がはるかに楽です。
事実、あまり経験がない先生などにはこのような傾向が見られます。でも、これでは生徒さんに変な妥協と諦めをもたらしてしまうに過ぎません。本物の実力は付かないのです。

ツールは限定しても、その一つ一つを確実に使いこなせていくようにする。つまり、最初の例にたとえるなら、たとえ安物のバイオリンしかなくても、もっと高いバイオリンがなければ上手く弾けない、などとは言わずに、まずはそれで可能な限り最高の演奏を目指す。
これこそ、応用力を養い、どのような場面でも通用する語学力を身につける鍵だと思います。

posted by EnglishMaster at 23:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月18日

リーディングの技術

中上級レベルになってくると、必然的に「読む」量も多くなってきますが、そのときに気になるのが、多くの人が学校で英語を習ったときと同じような読み方をしている点です。

その読み方とは、冒頭から丁寧にしらみつぶしで読んでいくことです。分からない言葉があれば辞書で引き、どのような構文であるかまで理解しないと気になって仕方がない、という方が結構いらっしゃいます。

でもそのような読み方が必ずしも良いとは限りません。特に複雑で長い文章を読んでいるときであれば、「木を見て森を見ず」という状態になりかねないからです。

このような状態に陥っていた生徒さんを先週教えていたときに思いついたアナロジーが「家を建てる」です。

一部屋一部屋内装まで完成させながら工事を進めていった場合(増築した場合を想像すると良いでしょう)、時間がより多くかかりますし、割高でもあります。下手すれば、どこかで辻褄が合わなくなって変な段差ができてしまう、という危険性もあります。

一方、通常はまず骨格を作り、それに肉付けをしていき、重要だと思われる部分にはお金を注ぎ込んで、そうでないところは適当に手を抜きますよね。

リーディングでも同じです。

全体的な文章の構造を掴んでから、重要と思われるポイントだけを拾い読みして、分からない単語は文脈から推測する、というテクニックを身につけるだけで、大分英語を読むのも楽になり、時間も短縮できるのです。

それを意識して、最近は、(もちろん相手にもよりますが)長文のリーディングを苦痛に感じているらしい生徒さん相手の時には、いかにして読まずに理解するか、という不謹慎なことに力を入れています。

ちなみに、少なくとも予備校では、試験対策として段々このようなテクニックを教えるようになってきているみたいですね。

とはいえ、これはケース・バイ・ケースで、始めにあらすじを頭の中に入れておくのは必ずしも最良の方法とは言えません。
だって、推理小説を読む前にあらすじを読んでしまったら犯人が誰かが分かってしまうでしょう?

そんなわけで、先週手に入れたプラトンの『国家』の英訳版を読むときに(恥ずかしながら、私はまだ読んでいなかったのです)、私はあえて冒頭に親切に添えてある「各巻のあらすじ」を無視して、いきなり本文と悪戦苦闘しています。

最初はソクラテスが単に相手の揚げ足を取っているようにしか思えなかったのですが、一生懸命議論を追っているうちに「ひょっとしたら最終的にはこのような指摘をしたいのではないか」とひらめいたりします。
これは結構楽しいです。

それとも単に暇である、というだけのことでしょうか。
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A Naruhodo! Moment

普通の辞書には中々載っていないかもしれないと思われる表現だけ、最後に日本語で解説してあります。

Some of my co-workers complain that after listening to mistakes all the time, the start to get confused themselves as to what is "correct" or "natural" English. Those who have been here for a really long time may even get to the point where they aren't even sure what is English, what is Japanese, and what is Japanese-English.
I saw a prime example of this last week.

A representative from an educational publishing company had come to our school to explain how wonderful the new textbooks they had co-developed with us were. Some way through his spiel, he exhorted us with the comment: "You have to give your students that Naruhodo! moment!"

Wait a minute, I thought. Why did he just throw in a Japanese word? Having flipped through one of neurologist Kenichiro Mogi's books the previous day at Maruzen, I knew that the appropriate English word for such a moment would be an '"Aha!" moment'. Although I kept my expression completely implacable, I was shouting "Don't you mean that we have to give our students an 'Aha!' moment?" in my head.

Added to this was the fact that I found his attitude unbearably condescending. Of course we give our students "Aha!" moments. I 'm not really happy unless I see lightbulbs going off above their heads at least three times in a lesson. And no, contrary to what he preached, I never "dumb down" my English for my students; I have too much respect for them to do that. I think this was the point at which I let myself tune out completely.

I'm sure that guy had no idea that he'd inadvertently slipped in a Japanese word, which makes it doubly scary. Thankfully, none of my co-workers were so far gone as to let that go unheeded; some did not even know the word "naruhodo" and were offended at his presumption that we did.
(Of course, I'm sure he didn't presume anything; he was probably completely unaware of the fact that he'd used a Japanese word.)

But slip-ups like that are not that uncommon. Once, after a New Zealander friend used the phrase "sex friend", I shot him a look and pointed out the fact that he'd just used Japanese English. Not one to be abashed, he said airily: "Oh, yes, I'm perfectly aware of that. I was just testing you."

Until now, I've been relatively immune to this kind of mix-up, perhaps because I associated different languages with different physical locations (English at school; Japanese at home) as a child and learned to use separate parts of my brain for each language.

But today, I found myself slipping an English word into a conversation with my parents by mistake. Although they didn't seem to notice (it was the word "airport", for the record), I'll take that as a warning that I have to be careful, too.
ミニ用語解説
posted by EnglishMaster at 22:20| Comment(3) | TrackBack(0) | English | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

Misinterpretation

2週間前、とある本の一節を生徒さんと一緒に読み、解説していたところ、「誤読ばっかりですね」とかなり落ち込まれたご様子でした。

でも考えてみれば、私も決して誤読と無縁な訳ではありません。

最近、以前に何度も再読している本を読み直しながら、1箇所解釈が誤っていたことに気付きました。

ちなみに、その本はディック・フランシス著の "Break In" という小説です。

breakin.jpg

この著者、元は騎手であり、落馬して馬に乗れなくなってからスポーツ紙の記者を経て小説家になった方で、著書は多かれ少なかれ競馬と縁があるストーリー展開になっています。

テンポが良く、程よい緊張感が漂う、非常に面白い話ばかりなのですが、スラングや口語表現が多いのが学習者にはネックになってしまうかもしれません。毎週定期的に教えている生徒さんに競馬好きな人がいたため、フランシスの小説をクリスマス・プレゼントにしてあげようと思ったのですが、客観的な目で見たらとても初級者に理解できるものではありません。幸い、やや古い(発表年からすると)本でしたが、Oxford Reader版があったため、そちらにしました。

さて、誤読箇所に話を戻すと、それは以下のようなパッセージでした。

"Still, we tried hard, finished third, and seemed to give moderate pleasure to owners and trainer. Bread and butter for me; expenses covered for them."

これを最初に読んだとき、疑問に思ったものです。
なぜなら、"them" がてっきり "bread and butter" を指しているのかと思い、「パンとバターを食べ、それは経費でまかなわれた」と解釈したからです。
しかし、騎手として常にダイエットをしていなければならない主人公は、トーストにバターさえ塗らない、という話も後に出てきます。一体これはどういうことだろう、と。

それが、最近読み返したとき、謎が解けました。

"Bread and butter" とは「生活の糧」を意味していたのであり、"them" は "owners and trainer" を指していたのです。
つまり、「頑張って3着になり、馬主と調教師を多少なりとも喜ばせることが出来たようだった。私は生活の糧を得、彼らは経費の元が取れたのだ」という意味だったのですね。

一旦分かってしまうと、「どうしてあんな誤解をしていたのだろう」と思うのですが、誤読とはそういうものかも知れませんね。おかしいと思いながら、いくらあがいても良く分からないのに、一旦分かってしまえばなぜ分からなかったのかさえ分からなくなってくるので、不思議なものです。

大事なのは、論理的に辻褄が合わないときに「そういうものだ」と割り切ってしまわずに、「解釈が間違っているのだろうか」と疑う気持ちかもしれませんね。
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2007年02月10日

自己暗示?

実は、昨夜の記事を書いてから、ふと思い当たることがあったので、ここに紹介します。

今教えている生徒さんに、Sさんという方がいます。銀座校にいたときからのつきあいで、もう3年以上も通っていただいているのでしょうか。

私が彼女を最初に教えたときか、二度目に教えたときかを正確には記憶していないのですが、とにかくラッキーなことにグループの他の生徒さんが欠席されたため、彼女はプライベート・レッスン状態になったのです。

彼女がそれまでのレッスンの内容をきちんと使いこなせておらず、未だに一旦英文を復唱して、日本語でぶつぶつつぶやかないと質問に答えられなかったのに危機感を感じた私は、やる内容を絞り込んで、同じ質疑応答を根気良く5回も10回も繰り返しました。
語順が違ったのでもう一回、助動詞が抜けたのでもう一回、冠詞が違ったのでもう一回、完璧だったけど、もっとテンポ良く言えるように仕上げにもう一回、という具合に。
それで、今度は同じ例文の目的語だけを変えたりして、最後に目的語だけでなく、動詞も変える、という調子で、たった一つの構文を叩き込むのに、丸々2レッスンを費やしたのです。

すると次の週だったか、彼女はレッスン後、私をみつけると「すみません、日本語で良いですか?」と前置きをした上で、「実はこの間のレッスン、辛くて涙が出るかと思ったのですが、今回のレッスンで先生に質問されたとき、自分でもびっくりするほどすらすらと答えがでてきたのです。今までで初めてですよ、こんなこと」と感激した様子で話されました。

そして次に彼女を教えたときには、グループの他のメンバーもいたため、そこまで丁寧に教えることができなかったのですが、それでも彼女はそのレッスンのポイントを消化できたようだったので、ああ、自信がついて、ちゃんとついていけるようになったのだな、と安心しました。。

ところが、そのグループがレベルの総復習をやるレッスンを担当したときです。
なんと、私が教えた単元の内容に関してはきちんと答えられるのに、他の単元の知識は全くダメだったのです。これには頭を抱えてしまいました。
(ちなみに、彼女は決して努力を怠っていたのではなく、あれほど熱心に予習・復習をしているほども稀だ、と思わせたくらいです。ただ、足が速い人と遅い人がいるように、彼女は新しい表現を覚えるのに、他の人より少しばかり余計に時間がかかってしまうだけだったのです)

彼女は、私に教えて欲しい、とリクエストを入れて下さったみたいなのですが、最初はグループで受講している人はリクエストができない、と断られて、私に中々担当が回ってこなかったり、私の企業派遣レッスンが彼女のグループの時間帯と重なったりしたため、しばらくすっかりご無沙汰になってしまいました。

でも、数ヶ月ほど前に、今はレベル3に上がっている彼女をやっと教える機会があり(同僚に無理を言って勝手に代わってもらってしまいました)、未だに苦労している彼女でもついていけるようにレッスンを工夫したのです。

そして、一昨日、また彼女のグループでレベル3の中間復習を担当したとき、彼女はまた私が教えた単元のボキャブラリに関してだけ、率先して答えることが出来ていました。

そのときは、「やっぱり私は教え方がうまいんだ」なんて勝手に喜んでいました。しかし、良く考えると、実はそういう単純な問題ではないのかもしれません。

3ヶ月ほど前だったか、彼女と廊下ですれ違って挨拶したとき、彼女はまた「先生が教えてくれた内容は今でも覚えていますよ。最初に "I am wearing a suit," を教えてくれましたよね。でも先生に教わった分しか覚えていないのです。どうすれば良いのでしょう」
そのときは、3年も前にやった内容を正確に記憶していたことにただただ驚嘆したのですが、この彼女の言葉をよくよく振り返ってみると、実は彼女の頭の中には最初の成功体験が引き金になり「この先生に教わった内容は、絶対に忘れずに使いこなせるようになる」という強力な自己暗示になっていたのかもしれません。

だから、グループの他のメンバーが出席していて、つきっきりで丁寧に教えてあげることが出来なくても、レッスンの内容をちゃんと覚えていたのかもしれない、と考えることができます。

となると、先生に対する信頼は恐ろしいほど強力な力を持っている、ということですよね。
独りよがりかもしれませんが、自分が担っている責任、というものの重さに、愕然としてしまいました。
posted by EnglishMaster at 00:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月08日

上達の秘訣

私は、尋ねられない限り自分が日本人だとは言いません。
面白いことに、尋ねない方も結構多く、一回聞いて「へえー」と言っても数週間後には忘れてしまっている方もいます。

でも "Are you Japanese?" や "Where are you from?" と聞いてくる積極的な生徒さんだと、(信じてくれない人は別として)その後に必ずと言って良いほど、"Why do you speak English so well?" という質問が続きます。

今まではその質問に対し、「幼少の頃より海外に住んでいたから」と答えていたのですが、今日またこの質問を聞いいたときに、それが必ずしも正しい答えでは無いことに気付きました。
私と同じくらいの年齢で海外に行っても、結局高いレベルの英語力を得ることが出来なかったり、忘れてしまったりしてわざわざ習いに来る生徒さんもいるくらいですから。

そこで、初級者の方だったので、かなり噛み砕いた表現を用いなければならなかったのですが、以下のような話をしたのです。

"I was five years old when I first went to the U.S., and on my first day of school, I couldn't communicate with the teacher or with the other students. Everyone was kind, and spoke very slowly when they were speaking to me, but I didn't like the special treatment. So, when I got home I told my mother: 'If I can't speak English, everyone thinks that I'm stupid. I don't want that. So I'm going to learn to speak English just as well as everybody else can.' And I did. I caught up with my classmates in six months.

"So don't tell me that you can't speak well. You should look in the mirror every morning and tell yourself that you are going to master English."

そう、思えばこの「特別扱い」に対する悔しさが私の競争心に火を点け、誰にも負けない英語力を身につけよう、という原動力になったのです。あのとき、「日本人だからアメリカ人の子のように英語を話せなくても当然だ」などと考えてしまったら、今の私はなかったでしょう。
もちろんそれに加えて、良い先生に恵まれる、という幸運もあったのですが。

今週のTIME誌に、人間の脳についての特集記事(リンクはここをクリック)があったのですが、それには大人になってからも能は変化し、進化し続けることができる、という話が掲載されていました。
何かを練習すれば練習するほど、その作業を担う脳細胞が増え(周辺の細胞をハイジャックする、というような趣旨の表現がなされています)、イメージトレーニングだけでも似たような変化が生じることを実証したハーバード大の実験結果や、瞑想などを通じて意志の力だけで脳細胞の機能を作り変え、能の疾患を治療できた、というUCLAの実験の結果も紹介されています。

だから、大人になってからでも、「英語で考え、話すための細胞」というものを、作り出すこともできるのですよね。
問題は、最初から「できない」と思い込んでしまっている人が多いことにあると思います。

ところで、これに関連して、冒頭で紹介した生徒さんには以下のような話もしました。(この話をした後だったから、いつもとは違う回答が思いついたのかもしれません)

"Elephants at a circus are tied to poles by very thin ropes. Elephants, of course, are very strong. They can break the ropes easily, and run away. But they don't. Do you know why?

"When they are very young, they are attached to the poles by very sstrong chains. They struggle to break the chains, but they can't, and they give up. They believe that it is impossible to escape. So even after they become big, and the strong chains are replaced by thin ropes, they don't try to escape. They can escape, but they never do, because they believe that it's impossible.

"So if you think you can't do something, you never will, because you won't even try. But if you believe that it is possible, you can."

(これは、"Improbable" という最近読んだ小説に載っていた話です。真実の程は分かりませんが、説得力がありますよね。結構気に入って、色んな生徒さんに話しています。
この本自体、東洋哲学的な要素も入った、かなりスリリングで面白い話で、『数学的にありえない』という邦題で日本語訳も出ていますので、おすすめです)

ちなみにここで紹介した生徒さん、企業派遣レッスンなので、これから毎週木曜日に教えることになるのですが、本当に鏡を見て、自己暗示をかけてくれるのか、楽しみです。
posted by EnglishMaster at 23:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Letters from Iwo Jima

今日見てきた『硫黄島からの手紙』の鑑賞文。
ついつい長くなってしまいました。

I'd actually been wanting to see this movie for some time for a
number of reasons.

First of all, I'm passionately interested in WWII history in general, especially since I read Toyoko Yamazaki's epic "Two Homelands" last year. Any film that is set in this era will rouse my curiosity, although said curiosity quickly abates if the film is a historically inaccurate one-sided one, such as "Pearl Harbor" and the numerous recent Japanese films that serve only to whitewash and glorify the war.

Second, I was intrigued by the interview Ken Watanabe gave in TIME magazine, where he talked about the character he portrayed, Lt. General Kuribayashi. I'd read about Kuribayashi in Yamazaki's book and had been very impressed; Watanabe's interview served only to heighten my esteem for this historical figure.

And last but not least, how could I miss all the rave reviews in numerous publications? Not to mention the Oscar nomination.

I knew I had to see this movie on the big screen.

Although catching the one o'clock show today meant putting lunch off until four, it was well worth it (I was having trouble digesting my McBreakfast anyway) as it fully lived up to my expectations.

Clint Eastwood did a remarkable job contrasting the bleakness of Iwo Jima and the poverty of the Japanese homeland against the affluence of California. The sheer wealth of the U.S. is dizzying, even, and one cannot help but be in total agreement with Kuribayashi when he states that it is total madness for Japan to wage a war with this superpower.

A lot of attention has been paid to detail (Were those real Hermes riding boots that Baron Nishi was wearing?), and the movie is probably a great primer for western audiences, like the fact that while the Americans were armed with machine guns, the Japanese only had single-shot rifles; how many Japanese seriously believed that sheer willpower would overcome differences in logisitics; how resources were so scarce that even cooking equipment was requisitioned so that it could be melted down for iron. And as Kuribayashi notes, the Americans were producing 5 million cars a year at that time!
(By the way, those rifles were called 38s because they were 1905 models; 1905 being the 38th year of Emperor Showa's reign. In the movie, none of the soldiers hit the targets during target practice, but who can blame them when they only have 40-year-old guns?)

There are no good guys or bad guys in the movie. Some men are stubborn, some men are narrow-minded, some are just plain ignorant, but they are all trying to do their jobs. Like any great war movie, it tells us that men are not evil, only war; that war is dehumanizing but some men somehow manage to hold onto their humanity.
In this sense, my favorite character was actually Ito (played by Ryo Kase, who stars in another hot movie: "I Just Didn't Do It").

Watching a movie like this forces me to ask myself: How would I react in such a situation? Would I be able to hang on to my ideals and my humanity, or would I be swept along in the madness like the rest of the crowd? I am not confident that it would be the former. And as evidenced by the recent natto craze, the Japanese people as a whole are easily led by the nose.

Another point that struck a chord with me was how antagonistic the other officers are toward Kuribayashi, who has seen more of the world than they have. Although xenophobia is (for the most part) no longer much of an issue, I believe that this suspicion of people who have lived, studied, or worked overseas, is still prevalent in the minds of many Japanese. Even in my father's company, there was a clear dividing line between those who had stayed in Japan for their entire careers and those who had been posted overseas. There may be curiosity, interest, and even respect, but "returnees" are still considered "different" in a culture that prides itself on its homogenity.

Which, I suppose, is why the scriptwriter decided that Kuribayashi and Baron Nishi, another English-speaking, well-traveled Japanese officer on Iwo Jima, should be friends. This, I personally found to be a little jarring. Would a general who insisted that he have the same meal as the lowliest private really befriend a colonel who cantered around on his horse for fun while his men were hard at work?
(A quick check on Wikipedia confirmed that the two had definitely not been buddies.)

One final detail that upset me slightly was the sloppiness of the Japanese subtitles. Most of the movie was in Japanese, so there were subtitles for only the brief snippets of conversation that were in English, but many of the ones I couldn't help glimpsing were wide of the mark.
Because I tried hard not to look at them too much, I don't remember any of the mistakes clearly bar one:
In one scene, one of two American soldiers who are guarding two Japanese POWs says (of the POWs) "They're sitting ducks." However, the subtitles twist this into "They're gonna shoot us," (since the POWs are unarmed, one can only suppose that "they" refers to the rest of the Imperial Army) which turns the situation on its head.
The other errors may not have been quite as bad, but couldn't they have paid this great movie a little more respect?
posted by EnglishMaster at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | English | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月05日

Male Pride?

現在のカリキュラムでは、中上級に上がる時点で、「一般英会話コース」と「ビジネス英会話コース」のどちらかを選ばなければなりません。(ビジネス・コースだと、ライティングも入るので、厳密には「会話」のみではありませんが)

そして、グループで受講している場合には、メンバーでどちらに進むかについて、全員が同意しなければならないみたいです。

最近レベルアップしたグループの傾向を見ると、どうやら「ビジネス・コースをやりたい!」と頑張るのは男性の方らしいですね。女性の方は「難しそうだから一般コースの方が良い」と主張するみたいです。

それで大半のグループでは結局男性の方に押し切られてビジネス・コースに進むことに。

ところが、面白いことに、いざ蓋を開けてみると、最初は嫌々だった女性のほうがばっちり予習してあり、レッスン中に積極的に発言できたりするのです。

先日、レベル6でネゴシエーションを始めた女性も同じ。

グループのファイルに「彼はやる気だが、彼女は交渉に全く興味なし」というメモを見て、これは如何にして興味を持たせるかの勝負だ、と思ったのですが、彼女のノートには3ページ分ほどびっしりと新出単語の定義を書き出してあり、やる気であったはずの男性の方は全く予習した形跡が無かったのです。

決して予習を前提としているわけではないのですが、予習してあった分、彼女の方が堂々と「辞書を引いたけど、意味が良く分からなかった」と言うことができ、男性の方はついて行くのに精一杯になってしまいました。

また、実際に交渉のロールプレイをやる段階になると、片方が百戦錬磨の営業マンである場合を除いては、総じて女性の方がタフですね。

となると、なぜそこまで気合が入っていない男性(あくまでも一般論です)がビジネス・コースにこだわるのか、という疑問が生じるわけですが、ひょっとしたらこれは単にプライドの問題かもしれませんね。
「ビジネス英語を勉強している」と言った方が聞こえが良いとか。

一方、女性の方がより冷静に「どちらの方が自分のニーズや興味に合っているか」「どちらがより大変か」という問題を考えているのではないか、という気がしました。


今、我がスクールで使っている教材に関して言えば、ビジネス・コースの方が難しく、予習している人の比率も高いです。

でも、実社会においてはどうかというと、実はビジネス英語と言うものは非常に狭い範囲に限定されており、その狭い範囲を綿密にカバーしておけば大して困らないのです。

アメリカで10年以上ビジネスをやってきた父も、帰国後ほとんど勉強せずに「ビジネス英検」の1級を取って喜んでいましたが、「英検」の1級の方は娘が取ったから良い、などと訳の分からない理由ですっかりあきらめてしまいました。
実際彼が一番苦しんだのは、ビジネスの場ではなくて、ディナーなどの社交の場での会話だと今でも言っています。

これは習いに来る生徒さんにも見られる傾向で、上級者ほど「ビジネスにはほぼ困らないので、もっと会話の幅を広げたい」と言ってきます。

なので、決してビジネス英語の方が格が上だ、などと思い込まない方が良いですね。

ちなみに、はじめてコースが分かれるレベル5での一般コースでは副教材が発音の特訓のものですが、「意味が分からなくても正しく発音できるように」との趣旨から「翼竜」(pterodactyl)など普通のレッスンでは出てこないような、トリビア的なボキャブラリが結構たくさん出てきます。
posted by EnglishMaster at 11:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マニュアル

今日、父がお客を家に呼んだため、昨日の夜にババロアを作りました。

久しぶりのお菓子作り、とても楽しかったです。
何より、広い台所と、調理器具がなんでも揃っているという実家パラサイトの特典を最大限に活かすことができました。
(一人暮らしの時には、チーズケーキぐらいしか作れなかったので)

何が楽しいか、というと、マニュアル通りにさえやれば、プロ級のものが作れることでしょうか。
ただ、マニュアル通り、というのも決して簡単なものではないな、と改めて考える今日この頃です。

例えば、コンピュータを使いこなせなかったり、ビデオの録画に四苦八苦する人は、(特に年配の方だと)結構多いですよね。この間、新しいステレオ・コンポを購入した父が、「ラジオの設定ができない」と助けを求めてきました。私はマニュアルを一目見て、あっという間に設定できたのですが、父は同じマニュアルを見ていながらも全然分からなかったそうです。

無意識的に何かを見落としてしまったのでしょう。

また、ただ字面をなぞれば良いか、というとそういうわけでもありません。
何度かお菓子作りで失敗したこともありますが、考えてみればそれは手順がうまく頭に入っていなかったり、そもそもなぜそのような手順が必要なのかを考えていなかったからです。

そこで、今回は準備をする段階で、「なぜこの手順が必要なのだろ」「この背後となっている原理は何なのだろう」とちょっと考えてみました。大したことではありません。参考にしたレシピには多少なりと原理が書いてあり、ああ、ゼラチンは冷めると固まるから最後に氷水につけなければならないんだな、と納得した程度です。

あとは、途中で本を見なくても良いように作業の流れを理解しながら手順を頭の中に叩き込んで、最も効率良く動くにはどのように調理器具を並べれば良いかを考えたくらいです。そして一つ、どうやら変えても差支えがなさそうな作業を発見し、レシピから少し変更してみたのです。

でも、このちょっとした「考える」という手間のおかげで、慌てることも無く、とっても美味しくできました (^^)

bavarois.jpg

思えば、このマニュアルを前にして一旦考える、という作業、どんな仕事にでも当てはまりますよね。

もちろん、数年前の原子炉事故の時のように、ただ効率を上げるためだけのマニュアルの変更だと、とんでもない事態が生じてしまいます。(レシピを勝手に変えてしまうと、失敗するのと同じです)
でも、マニュアルの趣旨を理解した上で、それをさらに活かすための工夫をすれば、決して手を抜いているわけではないのに、作業の効率を上げ、失敗を防ぐことができるんだな、ということを、事務処理を任せられるようになった最近、考えるようになりました。単に頭の体操として楽しい、ということもありますが。

実は、いつも教えているレッスンにもマニュアルがあります。
でも自分でそのマニュアルを解釈し、趣旨を考える、という作業を経なければ、面白くもありませんし、結果を出すこともできません。

やっぱり何事についても、小さな灰色の細胞(little gray cells)の使いよう、ということでしょうか。
posted by EnglishMaster at 00:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月02日

A Long Headache

先週、とあるレベル1のレッスンをやっていたときです。

具合が悪そうね、という同僚の心配に対して、女性が「頭が痛い」と訴える会話の聞き取りをしていました。

一通り聞いた後、「それで、彼女はどこが具合が悪いのですか?」と聞くと、生徒さんの答えは、
"She has a long headache."
でした。

そのような答えを聞くのは初めてだったため、"long headache" とは一体どんな頭痛なのだろう、と一瞬考え込んでしまいました。
実は彼が言いたかったのは "wrong headache" であり、"bad headache" の "bad" をいったん日本語に直して、また英語に直したため、奇妙な言い回しになってしまったのであることに気づくのに、丸々1秒はかかったような気がします。

「今、日本語で考えていたでしょう」というと、彼はドキッとした顔をしたのですが、一々日本語に変換して考えているのか、それとも限定された範囲であっても英語を英語のまま処理できているのかどうかは、結構簡単に分かるものです。

そしてこのような現象は何も初級レベルに限られているわけではありません。
確かその数日前には、レベル6の生徒さんが「"regular theater" では見ることができないような外国映画や古典映画が好きだ」、という台詞を聞き取った際、「彼は"normal theater" では見ることができないような映画が好きです」と答えるのを聞いて、これもまた一瞬止まってしまいました。"abnormal theater" というとんでもない代物を連想してしまいましたから。

思うに、学校英語の段階でまじめに勉強した人ほど、この「一々日本語に直す」、という作業から抜けだすことができないことが多いですね。

この状態から脱皮できなくても、実はある程度はやっていけます。現に後者のレベル6の生徒さんは様々なトピックにつき、かなり流暢に話すことができていました。頭の回転が速いのでしょう。

でもこの癖が抜けないと、新しいフレーズを解説してもらわないと覚えられなかったり、何が自然なコロケーション(連語)になるのかという感覚をなかなか身につけることができなかったりします。そして、これは一旦ある程度高いレベルまで到達してしまえばしまうほど、矯正するのは難しいみたいです。

そのレベル6の生徒さんを先日、また教えたのですが、まじめな彼は教科書に進出単語の日本語の対訳をびっしり書き込んでいました。本当はどうせなら英英辞書で調べておいて欲しかったのですが、「英語で説明できますか?」と聞かれてもちゃんと理解できていたようだったので、まあ今更目くじらを立てることもないかな、と思いました。
(多岐なトピックスに渡って雑談をしながらレッスンを進めている状態なので、そこで自然に英語だけで理解する場面も増えてくると思います)

問題はレベル1の方。今からならまだ比較的容易に英語脳を作れる状態のはずです。ちゃんとアドバイス通りに復習してくれると良いのですが...
posted by EnglishMaster at 16:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする