2006年07月30日

Man-to-man?

昨日、生徒さんを待っているときに廊下の掲示板を見ていて、あれ?と思ってしまいました。

サマーキャンペーンの案内で、今までは例えば「プライベート50レッスン」と書いてあったのが、「『マン・ツー・マン』50レッスン」という表記に変わっているではないですか。

どうしてこんなところでジャパニーズ・イングリッシュが使われているのだろう、これも「マン・ツー・マン」のフレーズの普及に努めている緑の看板の学校の影響か、と思い、スタッフに聞いてみると、
「知りません。ウェブサイトからダウンロードしたものをそのまま印刷しただけですから」
との一言。
でも彼女が言うには、「結構『プライベート・レッスン』と言っても分からない人が多いんですよ。『マン・ツー・マン』の方が分かりやすいみたいですね。日本語として市民権を得ているなら、それで良いんじゃないですか?」

そこで早速一緒に広辞苑を引いてみると...出てました、ちゃっかり。

さて、なぜ「マン・ツー・マン」が英語としてはヤバイと感じたかというと、最近英語では gender bias というものが非常に問題になっているからです。
例えば chairman と言ってしまうと男性しか会長になりえないような感じがするから "chairperson" にするべきだ、とか、"stewardess" だといかにもお客様の面倒を見るのが女性の仕事であるようなニュアンスがあるから "flight attendant" や "cabin attendant" と呼ぶべきだ、という議論です。

この流れからすると、man-to-man と言ってしまった場合、教える側が女性である場合と、教えられる側が女性である場合を否定するかのようであるため、避けるべきだ、と言えるでしょう。
(ちなみに、かの緑の看板の学校でさえもネイティブ向けの求人広告では "Teach only one-on-one lessons..." という表現を用いており、"man to man" とは書いていません)

で、ここまで考えて思い出したのが、

Let's talk, man-to-man.

という表現です。
男同士の話し合い、とすると皆さんはどんなものを想像しますか?
腹蔵の無い、率直な話し合い、「リーダーズ英和辞典」によれば、「肚を割った」話し合い、ということです。

これが転じて、

We had a little woman-to-woman chat.

なんていう形で使われることもありますね。
同性同士にしか許されない率直さを伴った、という感じになります。

以上、確かに「マン・ツー・マン」は日本語としては定着しているかもしれませんが、ネイティブに向かって

I'm taking man-to-man lessons,

とはなるべく言わない方が良いと思います。(特に女性である場合)
分かってもらえるかもしれませんが、その前に一瞬変な顔をされてしまう可能性大です。
posted by EnglishMaster at 21:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 和製英語? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月26日

足りない、という感覚

現在主催しているある掲示板で、なぜ

Whom did you give the book?

がいけないのか、という質問に対し、私は「最初の "to" が無いと物足りない」と解答しました。

実はこれは質問を発した方の意図を全く汲み取れていなかったのですが、色々なことを考えるきっかけになりました。

そして、別な方から
英語学習者にとっては to をつけないといけないという必要。

一方、ネイティブにとっては「足りない」という感覚。

似ているようで、大きな違いがあるなあ。

学習者に英語を教えるときは、「つけないといけない」から「足らない」への架け橋が必要なんだな。

という貴重なコメントも頂きました。

ちょうどそのとき、"To-Do List" を題材にしたレッスンで面白い体験をしました。

"To-Do List" とは、やらなければならないことを一覧にまとめた備忘録みたいなものであり、もちろんこれを完全な文で書くネイティブ・スピーカーはいません。
大抵、主語は不要。冠詞も不要。「スーツを取りに行く」であれば、普通は「自分の」スーツであるため、"my" のような所有格も不要。
ということで、本人さえ分かれば済むようなフレーズで構成されるのがほとんどです。

そして、その日のお題は、このフレーズだけを見て、"I have to..." という完全な文を作る、というアクティビティーでした。

ところが、その日はなぜか、教科書に載っている見本のリストを眺めていたときに、よくよく見ると、時々(句動詞を構成しない、すなわち不要な)前置詞が入ったりしていて、なんとなく一貫性が欠けていることに気付いたのです。

そこで、「このリストは生ぬるい!」と糾弾し、「本物のネイティブは、冠詞も、所有格も、必要がなければ前置詞も、一切省いてリストを作成してしまうものです」(人によりけりなので、厳密には嘘ですが)「というわけで、皆さんには冠詞なし、所有格なし、前置詞はできる限りなしのリストを作っていただきます」と言い、自分のリストとして以下のような項目を板書しました。

・clean room
・e-mail Ben
・book Kyoto hotel

すると、あら不思議。

いつもは結構前置詞や冠詞があやふやで、こちらが訂正してばっかりの生徒さんが、

"You have to clean your room."
"You have to send an e-mail to Ben."
"You have to book a hotel in Kyoto."

と、なんと完璧な文を作文してしまうではないですか。

特に面白かったのは2番目の項目。
本当は

"You have to e-mail Ben."

でも完成する文なのに、(少なくとも私はそのような意図でその項目を用意しました)ご丁寧に動詞と冠詞と前置詞をくっつけてくれたのですね。

"e-mail Ben" では何かが足りないに決まっている、とでも感じたのでしょうか。

しかもオリジナルの、中途半端に冠詞が省いてあるリストを題材にしたときとは、答えるときの自信が全然違ったように感じました。
あの程度では、「何かが足りない」とは思えなかったのかもしれません。

正直、自分から「足りない」と感じるとここまでも違うのか、と思うと、衝撃でした。
このようなアプローチがレッスンでも使えるかどうかは考え中ですが、また何らかの形で試してみたいと思います。
posted by EnglishMaster at 00:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月17日

学習に向いているドラマ

今日、久々に『アリー・my Love』(原題 "Ally McBeal")を観ました。
そして改めて感じたのは、このドラマが非常に学習の対象としては良いものではないか、ということです。

もちろん、英会話教師という立場上、ドラマをメインで勉強することを勧めたりはしませんが(ドラマだけで勉強するのはかなりの上級者でない限り難しいと思います)おまけの勉強法として観るのは楽しいし、「ああ、こういう言い回しもあるのだ」という発見があるため有意義だと思います。

もっとも、ただ楽しんで見るためではなくて、表現を学ぶ対象とするなら、どのドラマを選ぶかも非常に重要です。

例えば、私は個人的にこのブログでも何度か取り上げている『24』が大好きですが、あれは命令形や人が怒鳴っている場面が多すぎて、「教材」には不向きだと思います。また、略語形など非常に砕けた表現が多いため、そのままビジネスで使えるような話し方をしているとは思えません。

ティーンエージャーや子どもが主人公になっているものも然り。所詮はティーンエージャーらしい会話しかしていないので、社会人の教材としては物足りないでしょう。

社会人で、しかもビジネスで使うために英語を勉強をしているなら、是非社会人がオフィスで働いている場面のドラマを教材にしてみましょう。
そのとき鍵となるのが服装。
みんながスーツをびしっと着こなしているようなオフィスなら(女性は別)話している英語も「スーツが似合う英語」であると考えて良いでしょう。

『アリー』の他には『アリー』の姉妹番組に当たる『ザ・プラクティス』や、大統領執務室の日常を描いた『ザ・ホワイトハウス』(原題 "The West Wing")などが思い当たります。

今日『アリー』を観ていてとりわけ感心したのが、登場人物の発音が明瞭であることです。非常に丁寧な話し方をしているため、平均的なアメリカ人よりも例えば"t"の発音がはっきり聞き取れたりします。でも話すスピードはかなり速いです。耳を慣らすのにもってこいであると言えるでしょう。

また、全員一流大学出身の優秀な弁護士であるという設定のため、話す英語が文法的に正確です。今日見たエピソードでは、一人の女性弁護士がデートの相手(医者)に向かって「もし明日が無かったら」(If there were no tomorrow,)と言ったのですが、条件法を正しく使っていることに気付き、さすがだと思いました。(大多数のアメリカ人は "If there was no tomorrow" と言うでしょう)
もちろん、仮定法も正確に使われていましたよ。

これはビジネスで使う場合なら、結構重要ですよね。

語彙も時々どちらかというと書き言葉的なものが入っていますが、イディオム偏重の場合よりも、この方が読み書き中心で勉強してきた学習者にはなじみやすいと思います。

最後に、思わず笑ってしまったのが、弁護士事務所の秘書エレーヌをセクハラ疑惑で訴えた男性の代理人です。しばしば登場する彼は二言目には "I'm not comfortable with that," と言うのですが、ざっと訳して「それはやめてくれないか」
しばらく前にネイティブのように辞書を引こうで "comfortable" は使い間違いの多い言葉であることを指摘しましたが、このようなコンテキストで使われるのを聞けば、"comfortable" が「気持ち良い」とはちょっと趣が違うことに気付くでしょう。

なお、このシリーズで私が一番好きなキャラは Lucy Liu (ルーシー・リュー)扮する Ling (リン)という中国系の女性弁護士です。表向きはセクシーさを武器にした毒舌で通っているけれど、陰では時々ふと優しい部分も見せます。
彼女が降板してから急激に面白みがなくなってしまった、と感じたのは私だけでしょうか?
posted by EnglishMaster at 23:27| Comment(7) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

The Uncountables

最近、発言していた掲示板で、「"You've Got A Mail" がおかしい英語であると言っても、そもそも mail が不可算であるのは歴史的偶然に過ぎないではないか」、という指摘を受けました。

ある意味歴史的偶然という要素もありうるとは思いますが、別にだからといって「分からない!分からなくて良い!」と投げ出してしまう必要はないと思います。

そこで今日は多くの人が苦労されているだろう、可算名詞(countable nouns)と不可算名詞(uncountable nouns)の区別について私なりの考えを述べて行きたいと思います。

そもそも不可算名詞がなぜ不可算であるかといえば、「数えられない」もしくは「数える意味が無い」からです。

ざっと以下のように分類できるでしょう。

1.「愛」(love)のように高度に抽象化された、とらえどころのない概念。「愛一つ」というよりは、「たくさん」「少ない」という量で量ることに意味があるものです。
ただし、「愛する人」「愛する対象」を意味するときには "one love, two loves" と数えることができます。
I'm not surprised that they broke up; she didn't have much love for him anyway.
She has two loves in her life: her cat and her piano.

2. 「水」(water)「コーヒー」(coffee)「米」(rice)のように具体性はあるが、数える意味が無い、もしくは様々な単位がありうる("a mouthful of coffee; a cup of coffee; a pot of coffee; a gallon of coffee")ために不可算であるとみなされるもの。
ただし、レストランなどに行った場合には出てくる水の単位が決まっているので、「お水一つ」(a water)「コーヒー一つ」(a coffee)と言うことができます。

食べ物の時の注意です。「丸々一個」を指すのでない限り、食べ物は大抵不可算になります。例えば "a chicken と言えば鶏が丸々一羽、ということになりますし、"a pizza" も丸い状態のピザ一枚です。
I roasted a chicken yesterday.
I had some chicken (two drumsticks) for lunch today.
I baked a cake yesterday.
I had some cake (a slice of cake) for dessert today.

3. 「家具」(furniture)「荷物」(luggage)など様々な大きさや形態のもの(下位概念)を含む上位概念ため、不可算の扱いを受けるもの。これが一番難しいかもしれません。日本語では「家具一つ」と言えるからです。

でも英語スピーカーにすれば、巨大なキングサイズ・ベッドと小さな椅子を並べて、「ほらどうだ、家具二つだ」と言うことには違和感を感じるのです。だからどうしても数えたいときには "three pieces of furniture; three pieces of luggage" のように、「『家具』という概念に属するものが三つ」のような表現をします。"mail" (郵便物)も同じです。絵葉書2枚と封書1通、小包1個を並べて、「ほら、同じようなものが4つ並んでいる」とネイティブ・スピーカーには言えないのです。
(ちなみに、"e-mail" なら countable です)

ここで問題になるのが、"vegetables" などの例外です。複数形で"s"が付くものは、この原則では不可算になるはずであっても、加算名詞の扱いを受けてしまうのです。これが歴史的偶然、と言えるのかもしれません。

ただ、様々な下位概念を統括する上位概念であれば、日本語では数えられても英語では数えられないことが多い、ということを覚えておいただけで、大分楽になると思います。


最後におまけで、加算である場合と、不可算である場合とで意味が異なる単語をいくつか紹介します。

work(仕事)/  a work(作品)
hair(髪・まとまった量の毛)/  a hair(毛一本・まばらな毛)
toast(トースト)/  a toast(乾杯の音頭)

他にも思いつく例がありましたら、是非コメントでリストに追加してください。お待ちしております m(_ _)m
posted by EnglishMaster at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 文法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月14日

お国柄

今私が教えている生徒さんのほとんどは日本人ですが、たまに他の国籍の人が混じると、面白いことになります。

母国語に応じて、間違え方が全然違うのです。

先週教えたブラジル人の方ですが、しきりに今度の夏休みにオーストラリアで "English curse" (curseは英語で「呪い」を意味する)を受けるつもりだと連発していたので一瞬度肝を抜かれてしまったのですが、なんてことはない、"English course" と言いたかったのですね。
間違いを指摘すると、ポルトガル語では "course" を意味する言葉が "curse" という発音なので混乱した、と言っていました。(調べたところ、どうやらポルトガル語では "curso" という言葉らしいです)

また、奥さんが日本駐在の間は仕事を休んで、優雅にショッピングを楽しんでいる、という話をしていたとき、"She enjoys shopping with other Brazilian workers esposas," と言っていました。ああ、これはまた発音の勘違いかな、と思った私は、"Do you mean 'spouse'?"(つまり、「配偶者」ということですか?)と聞き返し、"spouse" という言葉を教えたのですが、確かポルトガルと同じくラテン語から派生したイタリア語では "spoza" とは「配偶者」ではなく、「妻」を指していたような...
(オペラを繰り返し聴いているうちにちょっことだけ身に付いたイタリア語なのであまりあてにならないのですが)

でも、"workers' esposas" と聞いて、「ちょっと待って、"worker" だとあたかもブルーカラーの労働者のイメージでしょ?今の待遇を考えれば、「駐在員の妻たち」(expatriate wives)の方が適切だと思いますよ、と言ったらかなり気に入ってそのまま覚えてもらえたので、それほどダメージは大きくないかも知れません。

同じヨーロッパ系の言語であるゆえに、一見日本人学習者よりは楽そうなのですが、似て非なる言葉や文法にかなり惑わされてしまうみたいです。

もっとも、(これは『時制の数』で紹介したブラジル人の人も同じだったのですが)彼らはポルトガル語と英語で何か相違点があると、「なぜだ?」とすぐに聞いてきます。そして説明に納得すると、「つまりこういうことだね」と自分の言葉で言い換えないと気がすまないらしく、さらに「こういう表現はどうだ?」と自分で勝手に例文をいくつか作ってくれるので、教える側としてはものすごく楽です。そして、何か間違いを指摘すると「じゃあ、もう一回」と自分から言い出して、「あ、そう言えばこういう場合は?」とまた応用してみせる、という感じです。
この姿勢は是非、日本人の方にも見習ってもらいたいと思いますね。(もちろん、すでにこのような姿勢ができている方もたまに見かけますよ)

このような積極的な生徒さんに対しては、日ごろは「日本の学校では批判的思考能力というものを教えないのか」(Don't they teach critical thinking in Japanese schools?)とボヤいている先生も意気揚々と喜んで教えています。
決して「ここで質問したら失礼かもしれないから自分で調べよう」とは思わずに、質問や要望は積極的に述べていくべきです。先生から「こいつは違う」と一目置かれて、良いレッスンをしてもらえること間違いなしです。
posted by EnglishMaster at 00:38| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月07日

誰も使わない表現

大分時間が空いてしまいましたが、前回の続きのようなものです。

先日、同僚と話していたとき、彼はとある英和・和英辞典を非難して「あんなのは時代遅れな、ネイティブ・スピーカーなら誰も使わない表現だらけだ」と言っていました。

そのとき、私は思わず「待って」と言ってしまいました。「誰も使わないと言っても、あなたは世界中のネイティブ・スピーカー全員と会話して確認したわけではないでしょう?一人でも使う人がいれば『誰も使っていない』なんて言えないはずよ」

すると彼はさすがにそれで「しまった!」という顔をして、「いや、今のは口が滑っただけで、いつもはなるべく『僕は使わない』と言うようにしているよ」と決まりが悪そうに反論してきましたが、どうなんでしょうね。結構平気で「誰も使わない」と連発しているネイティブの先生は多いように思えます。

しかも説得力があるから恐ろしいですね。以前、生徒さんに「ずっと前に社内研修のネイティブの先生に今では誰も"delicious" という言葉は使わないから "tastes good" と言うべきだと言われたけど本当か」と聞かれて絶句した覚えがあります。

それは極端な例にせよ、少なくとも数学や論理学を多少なりともかじったことがある人ならば、絶対に「誰も使わない」とは言うべきではないと思います。

きっぱりと言いきれるのは、あくまでも
1.文法的に正しく、意味が伝わるかどうか
2.自分が使うかどうか
の2点に過ぎませんね。

たまに「これは正しいですか?」と「あなたは実際使っていますか?」という質問をしてくる方がいらっしゃいますが、このような方は意識的にか無意識的にか、きちんとそこらへんを弁えておられるような気がします。

だから、私は生徒さんに "I beg your pardon?" と聞き返されたり、"whom" を正しく用いた質問をされても「その表現は平均的なアメリカ人なら使いません」とわざわざ指摘するようなことはしません。文法的に間違っていませんし、正しく使えれば "How do you do?" 同様、(少なくとも教養のある相手であれば)好印象を与えることが出来るからです。

皆さんも、決して「誰も使わない」という表現には騙されないように、注意してくださいね。
posted by EnglishMaster at 22:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする